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エッセイというもの

noteの毎日連続投稿を始めて、12日目になった。
ずいぶん前に登録はしてみたのだが、書くことが定まっていなかったことや、誰かの役に立つこと書かなければならないという気負いから、なかなか筆が進まず、これまで投稿数は月に数本程度だった。

それではいけないと思い、以前facebookに連続投稿していた文章(400~600字程度の文章を、毎日半年間投稿し続けたことがある)を、忘備録代わりに投稿したりもしていたが、その時の気持ちと今の気持ちがずれてしまっていることもあり、それも途中でフェードアウトしてしていた。

継続してもう少し長い文章を書き続けてみたい、という気持ちはあった。しかし、誰かのために読んでもらえるものを、と思って書くと、書いても読んでもらえなかった(「いいね」がつかなかった)時に寂しく感じてしまったり、ネタが尽きてしまって、結局続かなかった。

こんな時、noteを書斎とするKindle作家の末吉さん(3年以上毎日noteに文章を投稿している)の話を聴く機会があった。
彼から、文章を毎日書くためには、エッセイがいい。エッセイは自分の気持ちを書いていくものだからネタが尽きない、という話(と私は解釈した)を聴いて、今まであまり意識していなかった「エッセイ」というものを書いてみようと思った。

更に、知りたくて、末吉さんのnoteの記事を探していくと、「自信のない人に贈る「エッセイのススメ」」という記事が見つかった。https://note.com/sueyoshihiroomi/n/n067422c053eb

有料記事なので詳細は書けないが、興味がある方にはぜひ読んでほしい。

私は、自分の心の深いところに向き合って表現することは苦手だ。自分の心の表現を書いたとしても、誰もそんなものは読みたくないだろうし、読みまれないだろう文章は書いても仕方ないと思っていた。

だから、誰かの役に立つもの、を書かないといけないし、そうでなければ意味がないと思っていた。つまり、ベクトルは自分以外の誰か。そして、その誰かに何かを教える文章にしようとするから、暑苦しいものになりがち。

一方で、エッセイというものは、自分の言いたいこと、自分の考えや思考を中心に書くものと考えても良いらしい。その場合ベクトルは自分に向く。かといって、自分にしか分からないことを、自分のために書いてしまっては、ただの日記になってしまう。そのさじ加減をうまく使うことで、読み手に響く文章にできるようだ。(この辺りについては、前述の末吉さんの文章を読んでもらうと分かると思う。)

でも、そんなことを気を付けすぎても、また書けなくなりそうなので、気負わず色々試しながら書いていってみようと思う。
どこまで毎日書けるのだろうか。自分でも楽しみだ。

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