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【私だけのステージで舞う】INFJ / HSPの25歳女は輝かしい人生を諦めない

 みなさま、こんにちは。
わくわこ です。

先日、派遣社員になって初めての給与明細をいただきました。

今の職場は完全に労働環境で選んだので正直お給料の方はあまり期待していなかったのですが……
なんとびっくり、公務員時代より数万円も高くなっているではありませんか。

昇給の見込みはほとんどないので結婚や子育てを視野に入れると大変かもしれませんが、今の私には十分すぎるくらいだな、と嬉しい気分になったのでした。

さて、今回のテーマは「人生の軌道修正」についてです。取り留めのない話になりますが良かったら読んでみてくださいね。


生きる道に迷いがちなINFJ

INFJなら誰しも一度は考えるであろう「自分、何のために生きているのか」問題。

これは私の偏見かもしれませんが、自分にぴったりの生き方を一発で当てにいけるINFJさんって少数派なのではないかな~と思います。

INFJさんというと主語が大きすぎるかもしれませんが、少なくとも私のブログを読みに来てくださるような方々は、「このままでいいのかな」と不安になる夜を幾度か越えてきているのではないでしょうか。多分。このブログのコンセプト的に(そうでない方に読んでいただけるのもとても嬉しいですが)。

私自身、大学の終わりから社会人の始めにかけては特に、毎晩布団の中で悶々と考え事をしていました。私ってなんで生きてるんだっけ。私がしたかったのってこんなことだったのかな。大人ってこんなに毎日つらいものなのかしら……などなど、考え始めたら止まらなくなってしまい眠れなかった夜も数知れず。

根は真面目だし、幼少期から自分の中にある「正義」や「善」を意識しながら真っ当に生きてきたつもりなのに、一向に思い描いていた幸せがやってこない。いったい何をどこで間違えた……?!なんて、やるせない気持ちにもなります。

「『普通』の幸せでいい」と願う私と「『普通』の生活が上手くできない」という現実。そんなギャップを感じてしまう瞬間が、確かにあったのです。そしてそこに気づいてしまったらもう、かな~~り大幅な行先変更もやむを得ないのかもしれません。

なぜ人生迷子になってしまうのか

私的に最大の長所であり弱点でもあると思っているのですが、「好きではないことでも一所懸命やれちゃう」ってINFJあるあるではありませんか?

得意じゃないな~、やりたくないな~と思っていても、いざ任されると本気で頑張ってしまう。

そして頑張ってやればそれなりの成果が出て、周りの人から感謝されたりもっと頼られたりする。そうやって人の役に立てること自体は素直に嬉しく思えるので、別に悪いことではありません。

しかし、子どもの頃からこういう経験を繰り返していて身につくのは「人がやりたがらない / 誰もやらないなら私がやらなきゃ」という強い正義感と、「私は本気で頑張ればたいていのことは卒なくこなせる」という謎の自信です。

要は「ちょっと優秀めな一般人」を演じるのが得意。周りからはオールマイティで頼りがいのある人だと思われがち。

そして普段からこうやって「優秀めな一般人」を演じ続けた結果、自分が本当にやりたいことを見失ってしまったのです。

これこそがこの特性の大きな弱点。思えば、私はここにずいぶん悩まされました。

終わりが見えない舞台を演じ続けるつらさ

学生時代の私は「終わりが見える環境」にかなり助けられていたように感じます。

苦手なことや面倒なことでも、とにかく数年間頑張れば卒業できる。人に頼られるのも誰かの役に立てるのも嫌な気はしませんから、期間限定だと思えば我慢することもできました。

しかし就職をして働き始めると、その果てしなく遠いゴールに心が折れてしまったのです。

他の人が気づかないようなところも気をつけようとか、誰かがやらなきゃいけないなら私がやろうという努力に気づいてくれる人はもちろんいて、褒められたり感謝されたりする機会もありました。

ただ私自身「優秀めな一般人を演じている」だけであって「生まれつき優秀」なわけではないので、あと何十年もこうやって働き続けないといけないのか、と思うとひどく心が沈んだのです。

これはやや被害妄想じみていますが「私の存在って周りからありがたがられるだけであって、自分自身には特にメリットなくない?」なんて考えてしまうことも増え、そういう風に考えてしまうことにも悲しい気持ちになりました。

私の場合は昇任意欲がなかったことや、やっている仕事それ自体に思い入れがなかったのもかなり大きく影響していたと思います。

中途半端な「芸術肌」に悩まされる

INFJの特性を調べていると「クリエイティブ」「豊かな創造力」「芸術家」なんて言葉を見かけることもしばしば。

向いている職業として「イラストレーター」や「作家・小説家」のようなセンスが試されるものが挙げられるのもINFJあるある。

そしてそういう職業を「いや~現実的じゃないでしょ」と早々に選択肢から外してしまうのもまた、INFJあるあるではなかろうかと私は考えています。

何かを想像 / 創造するのはたしかに好き。でもそういう仕事で食べていくには、もっともっとずば抜けた才能がないといけない。私は性格や考え方が「芸術家気質」なだけであって、それを生涯の仕事にするのは現実的じゃないと思ってしまうわけですね。

いわゆる「波乱万丈」な人生は求めていないし、競争心もない。重いプレッシャーを抱えたくないので入社直後から責任あるポストに就かされる新しい会社も敬遠。大きな会社に特別憧れているわけでもないが、親からの期待には応えたい。

そんなこんなで私は公務員を目指すに至りましたが、結果ダメでした。
「ちょっと優秀めな一般人」を演じ続けていたせいでなんとなくどこにでも馴染めるつもりになっていましたが、人生の大半を占める「仕事」に関してはごまかせなかったようです。

自分らしい人生を生きるために諦めたこと

そんな挫折経験を通して私なりに気づいたこと、それは「どんなに一生懸命やったとしても、思い描いた通りの人生を送れるとは限らない」ということです。

私は私なりにいろいろ考えながら、「普通の幸せ」を育める道を慎重に選んできたつもりです。
しかし、いくら計画どおりの道を歩んでいようが、周りからは順風満帆に見えていようが、純粋な自分自身の心の声を無視し続けているといつか限界が訪れるらしいことがわかりました。

私が改めて自分の理想の人生に向き合うために、諦めたことがいくつかあります。

1.常に完璧を目指すことを諦めた

「完璧以外は不出来」だと思ってしまうのは私の悪い癖です。

完璧になるために努力できるのは良いことですが、大人になると悪知恵がついて、そもそも完璧を目指せる土俵しか選ばなくなってしまいます。

自分の好きなことを極めたい、仕事にしたいという思いがありつつも「自分以上に完璧にこなせる人がいる」という現実に向き合うのが怖くて避けてしまうこともたくさんありました。

今の私は、これを克服しようと奮闘中です。

好きで頑張り続けられるのであれば、「そこそこ」でもいい。
生活できる程度のお金が稼げるなら、1番になれなくても仕事にしたっていい。

そんな風に考えられたら、心が軽くなりそうです。

2.周りの期待に応え続けることを諦めた

誰かの期待に応えたい一心で努力できるのは素敵ですが、それが自分の中の基準になってしまうと途端につらくなります。

挑戦してみたいことがあったり、逆にもう辞めたいと思うことがあったりしたときに「周りから失望されるかもしれない」と考えて二の足を踏んでしまうのは悲しいことです。

自分の理想と相反する周りの期待には応える必要なし!と思い切ってしまうことも時には大切。

自分を見失わずに生きる

今、私は自分自身の声にしっかりと耳を傾けながら生きています。
今さらながら「私ってこういう人間だったんだ」と新しい発見をすることもあります。

周りの多くの人が生きている場所だからといって、自分もそこで快適に生きられるとは限りません。

私には、私がらしく輝ける場所を見つける義務があります。
その輝きは、社会的な地位やステータスと比例して生まれるものとは限りません。

なにが自分を輝かせるのか。そのタネを見つけるために進路を変える勇気は、常に持ち続けていたいと思います。

というわけで、今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
輝かしい毎日を想って生きるみなさまへ、愛をこめて。


わくわこ

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