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自分のやりたいことって何だろう? わくわくの根っこが何なのか気づいてから...

わくわくして動き出さずにはいられない原動力「わくわくエンジン®」を持って活動している方たちを紹介する連載「わくわくエンジン図鑑」。
認定NPO法人キーパーソン21がお届けします。

今回、図鑑に登場してくれたのは鈴木健さん。学生の頃からキーパーソン21の活動を始め、多くの子どもたちのわくわくエンジンを引き出してくれています。高校時代から強い気持ちで教師を目指していたけど、あることがきっかけで、その気持ちを見失います。そこから自分に問いかけるチャンスを作り、自分のやりたいことって何だろう?と何度も自分自身に答えを求め、気づいたあることとはーー?気づいたその先はーー?
周りの手を借りながら、進みたい道を見つけてきた等身大の学生&社会人けんちゃんストーリーです。ぜひお読みください。


【図鑑 No.16】
お名前
鈴木 健
お仕事
介護職員として体操やレクリエーションを通して高齢者の心を動かすこと
わくわくエンジン®
自分の知識とアイデアで誰かのわくわくを引き出し、その気持ちを支えること

教師を目指すようになったきっかけ。
「自分の人生は教師しかありえない」と思っていた


高校野球を引退し、次は大学受験に向けて勉強!
その大学選びは教員になるために社会科の教職課程のある大学を選びました。理由は高校野球でお世話になった監督でした。

一時期、ピッチャーのリーダー(※ ぼくの野球部ではポジションごとにリーダーという役割がありました)としてチーム引っ張っていけるかな、というところまで来ていたんですが、そのプレッシャーに負けて自分からその役割をやめました。そのプレッシャーに負けてから選手として引退までプレーで活躍することができなかったんですね。

そんなぼくを監督は何度も試合で使ってくれましたが、尽く期待に答えられませんでした。それでも引退までつきあってくださいました。そんな生徒のために全力を尽くす監督への恩返しをしようと大学に入りました。

大学に入ってからは大学の勉強をしながら塾のバイトに明け暮れました。塾で働くのがとてもおもしろく感じてほとんど毎日バイトに費やしていました。「全部、生徒ため」と思ってがむしゃらに頑張っていた時期ですね。

もっとこどもと関わる機会をつくろう、と思ってキーパーソン21に入り、子どもと関わるようになったのもこの時期でした。塾のアルバイトとキーパーソン21の活動で子どもとたくさん関わっていくうちに、そこでの楽しさにどんどんはまっていきました。

次はどんな構成にしたら生徒は楽しんでくれるだろう?どんな話をしたら楽しくなるだろう?なんて考えたり。監督への恩返しのことも相まって、こんなに楽しいことなら「絶対に教師にならなきゃいけない」「教師という人生しかありえない」と考えるようになっていました。

図1

教師という目標を見失った


そんな中、「絶対に教師になる」という考えが一気に崩される出来事が起きました。塾で一緒に働いていた友達(小学生からつきあいのある友達)が人間関係で悩みを抱えて塾をやめると言い出した出来事がありました。ぼくはそれを引き留めますが、相手は「やめる」の一点張り。彼が抱えていた仕事が中途半端に投げ出されてしまうのが許せなかったんですね。そのまま口論に発展し、
「おれはやめたいの。人の気持ちがわからないやつに教師になってほしくない」

と彼は言って塾を辞めました。

「教師になってほしくない」と言われ、かなり引きずった記憶があります。はじめてそんなことを言われてけっこう思い詰めていました。「教師になっちゃいけないのかな…」「教師になっていいのかな…」そんなことを考えているうちに人生の目標を見失い、どんどん無気力状態になっていきました。

ラーメン屋のおばちゃんの言葉で気付かされる


こんな状態がやっぱりイヤでした。
とにかく今の状態を誰かに話してみることにしました。
いろんな人にしゃべってみましたが、その中である言葉がぼくの心に響きました。

「つらいことがあったら、まず自分の幸せを考えな」

あるラーメン屋のおばちゃんのこの言葉を聞いて、涙を流しながらラーメンを食べました。今まで監督の恩返しのために教師になる、そのために塾で必死で働いていた自分に救いの言葉のように思えました。

「誰かのために自分の身を削ってまで生きなくていい」

このことに気づいたぼくは、今まで自分のことを顧みず頑張り続けていたので、自分のやりたいことに目を向けてみることにしました。

塾を休んでしばらく一人で登山に出かけました。

図3

ぼくにとって山はありのままでいられる場所なんですよね。山でリフレッシュしながら「自分の心に素直に従って行動するってこんなに楽なんだね」と気づいたぼくはもう一度「教師になりたい」という想いを見つめなおすことにしました。監督のために教師になるんじゃなくて、自分が得られた感動を他人にも感じてほしい、と思うようになったのです。

そして、これまで目指してきた「なりたい教師」とはまた違ったものを目指すことになりました。しかしまだ自分のなかで具体的なイメージができていなかったのでモヤモヤしていました。

そこでキーパーソン21の個別アクションプログラムを受けて自分の気持ちを整理し、「こども一人ひとりが自分から学ぶ」そんな教育がしたいという想いを再確認しました。

じゃ、具体的にどんなことするの?

それを探すために、生徒がいきいきと過ごしている沖縄の学校を訪れたり、自分自身が個別アクションプログラムをする側になりこどものわくわくを見つける手伝いをしてみました。こどものわくわくを引き出していくうちに顔がどんどん明るくなっている様子を見て「これが自分のやりたいことだ!」と直感しました。

「誰かをわくわくさせることが、自分にとってのわくわくだ!」

この直感を少し整理したら「自分の知識とアイデアで誰かのわくわくを引き出し、その気持ちを支えること」という名刺の裏に書いてることが浮かびました。

図5のコピー

自分のわくわくに気づいた。
教師は手段であって目的じゃないのかもしれない

ということは…?

教師になるという目標はあくまで手段であって目的じゃないのかもしれない。
「誰かをわくわくさせる」目的のために教師を選んだなら、もしかしたら他の選択肢もあり得るんじゃないか?

この時には「自分の人生は教師しかありえない」なんてこと考えていなかったです。何の縁があってか、大学卒業前に千葉県でわくわくエンジンを広める事業の話がきました。

「地元千葉でわくわくを広められるかもしれない」

大学卒業2か月前に今の会社に入ることを決断し福祉業界に飛び込んでみました。日々、介護職員をやりながら地元千葉でわくわくを広める活動に参画しています。

介護職員として高齢者の方と向き合うようになり、もうすぐ1年半になります。当時勢いで入社したのは否定できないですが、「絶対、教師!」とガチガチに考えていたころの自分と比べたら随分やわらかくなったな、と思います。

仕事をしていると「こどもをわくわくさせる」よりも「人をわくわくさせる」ことにわくわくしている自分がいることに気づきました。対象は必ずしもこども限定じゃなくていい。自分で自分の思考に縛りをつけない!そう考えると自ずと選択肢が増える気がするんですよね。

では今の状態で満足か?と問われればYESとは言えない自分もいます。実はまだモヤモヤを抱えています。しかし、今までのモヤモヤと違うのは「自分のわくわくが割と明確にわかっている」状態でのモヤモヤです。

いろんな選択肢が考えられるようになったからこそ、自分がもっとわくわくしながら活躍できるチャンスがないかと想像が膨らむんです。もちろん「誰かのわくわくを引き出す」という芯はぶらさずに。わくわくの芯を自覚しているのは大事です。これが大きな学びです。

きっとこれからも泣いてラーメンを食べない程度にモヤモヤしながら、自分の進みたい道を選んでいくんだとおもいますよ。

図2

わくわくエンジンって何?って思われた方はこちらをご覧ください〜



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