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Lazyことはじめ。
英語の"Lazy"という形容詞にはいくつか意味があるらしい。
ポジティブな意味でもネガティブな意味でも使えちゃう便利な言葉。
"Lazy person"と書けば、怠け者とも、暇人とも、のんびり屋さんとも訳せちゃうわけです。
留学が始まってから、いろんなことを気が向くか向かないかで判断するようになった気がします。「突然〇〇したくなったからやってみよ〜」「今は△△する気分じゃないからやめとこ〜」が格段に増えた。
とりあえずやってみたら、飛び込んでみたら、続けてみたら何かあるかもしれないからガンバロ☆精神で長い間生きてきたのですが、そのエネルギーがどこかに行っちゃったようなのです。
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原因はおそらく、私に人生最長の「暇」が訪れていること。
もちろん授業はあるし他の活動も続けているけれど、日本にいた時みたいに朝から夜中まで予定詰めでタスクに追われるなんてことはない。
どこへ行こうと誰に会おうと何をしようとも自由。
初の「暇」どう使えばいいのか、普通はみんな何をするのか、そもそも暇なんて存在していいのか…って、暇な時間が一番考えごとしてるやん!!
そうして辿り着いたのは、「暇(=Lazy)とは自分の時間の手綱を自分で握れること」なのではないかなぁという仮説でした。
振り返ると、これまで私の前に現れ掴んできた選択の多くは、他の誰かが与えてくれたものだったのかも。もらったからにはやるしかないし、辞められないっしょ!!っていうマインドセット。
一方で、今の生活は自分で行動を起こさないと始まらないものがほとんどで、だからこそ最終どうするかの手綱を私が握っているように感じます。
…と腑に落ちたもつかの間、今度は何をみて手綱を引き締めたり緩めたりするのかが分からなくなってアセアセ。
〇〇したい!をすぐ行動に移せるようになったことはプラスに思えるけれど、気が向かないことを理由に行動を変えたり、あらゆることにのんびり取り組むようになってしまった私をどう認めてあげればいいんだろう。🧐
私にとって、何かをしないことは、何かをすることよりも勇気がいること。もしかしたら、得られるはずのチャンスを失うかもしれない。
出会えるはずだった人に出会えないかもしれない。
走らせるのも休ませるのも、手綱を引いている自分という存在。
何かをしない代わりに何をするのか、〇〇しておけばよかったと後悔しないためにどうするのか、Lazyも一筋縄ではいかないみたい。
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ただ、私の一年間の留学の目標は「まえだいおりの生き方ver2.0の獲得」であり、今までとはちょっと違う自分になってみること。もし"Lazy"でいることが今までの私と異なる行動ならば、今はネガティブに思えることも実は新たな選択肢であり挑戦とも言えるのかなぁ。
怠け者であり、暇人であり、のんびり屋さんなLazyまえだはこう言います。
「私は決してだらけてるんじゃない!!自分の自分の時間の手綱を自分で握る訓練中なんだ!!!!!」
物は考えよう。
ほんまかー?とツッコむアンチLazyまえだには口を閉じておいてもらって、新たな生き方として楽しんでみよう。
そんな今日この頃です🔰
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