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いつか「木村屋のアンパン」に勝ちたい

丸若裕俊さんと、久しぶりに話した。彼は「EN TEA」という日本茶のメーカーをやっている。佐賀の嬉野に茶畑を持っていて、そこで茶師の松尾俊一さんが異常な情熱と手間で作り上げた日本茶を、いろいろなかたちで飲ませている人だ。彼は長い間渋谷で「GEN GEN AN」というカルトな日本茶カフェを経営していたのだけれど、彼は昨年末に銀座のSONY PARKにも期間限定のポップアップ・ストア(GEN GEN AN 幻)を出店したのだ。テーマは「茶」と「菓子」。個人的に彼が菓子のプロデュースに興味を持っていたことは知っていた。しかし問題は他にあった。

なぜ、銀座にーーというのは愚問だ。それは彼の発案ではないだろう。重要なのはいま、この銀座という決定的に梯子を外されてしまった街で丸若というクリエイターが何をするのか、ということだ。もちろん、企画そのものはコロナ・ショック以前から進行していたという。そしてだからこそ、彼は与えられた条件の中で「いま」銀座で何をするべきかが問われることになった。少なくとも総体としては、あの街が何年も前から、海外からの観光客たちに「日本」とか「東京」といった記号を前面化したモノを売りつけることに(あるいは、機械的に電気製品を「爆買い」させることに)夢中になってきた。そのくせ気位は高くて、GINZA SIX的な中途半端な見栄を張ることは忘れなかった。そしてそんなあの街は、2020年をほかの東京のどの街がそうであるように梯子を外されたまま終えていった。この冬の銀座で、彼は何をしようというのか。それが僕の疑問だった。

議論の中で彼はこう述べた。「木村屋のアンパンだ」と。銀座がインバウンドを合言葉に迷走を始めたのはここ最近のことは最近の話だ。そして気位の高い街になったのも、それほど昔のことではない。かつての銀座は日本橋のエスタブリッシュメントに庶民の街として蔑まれる場所だった。だからこそ、近代日本の大衆文化を育む街になった。そこからは様々なものが生まれた。洋食のように、アンパンのように。

「いまこそ木村屋のアンパンのような仕事が必要だ」ーーそれがその日の僕らの出した結論だった。僕たちが足元で育んできたものと、外からやってきたものが全力でぶつかって、異質なものに進化する。日本の近代にとって銀座とはそういう化学変化を促す熱に溢れた街だった。それを僕たちは、バブルだとかインバウンドだとか、そういうものに踊らされて忘れていたのではないか。

話を終えたあと、丸若さんと僕は木村屋のアンパンを食べに行こうと話し合った。もちろん、彼の店に顔を出したあとに立ち寄るつもりだ。そして、思いっきりあの大発明をかぶりつきながら、僕たちの世代が木村屋のアンパンに匹敵するものを生み出すにはそうしたらいいかを、もう一度話し合おうと思っている。

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▲後日、有楽町で仕事があったのでその後に銀座SONY PARKの「GEN GEN AN 幻」に顔を出した。すると偶然丸若さん本人がいて、先日のトークセッションのことを振り返った。丸若さんは僕が甘いものが好きなのを覚えてくれていて、アイスクリームの試食をさせてくれた。どれもお茶に合わせて、甘さと、香りと、後味が繊細にコントロールされていた。僕のお気に入りは一番奥の茶色いアイスクリームだ。ほうじ茶とりんごのジェラート。甘酸っぱくて、ほんのりと苦くて、そして香ばしかった。

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【最近の活動と今後の予定】

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(遅いインターネット会議)
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