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三浦の幽霊たち

「モノノメ#2」の制作がほぼ終わったので、昨日PLANETSCLUBのメンバーと三浦半島に走りに行ってきた。この日の三浦半島では、本来なら第38回三浦国際マラソンが開催されるはずだった。しかし、新型コロナウィルスの感染拡大を理由に大会は中止になってしまった。実は僕たちは、一昨年もこの大会にエントリーしていた。そして走れなかった。この年の大会も、コロナ禍のために中止になったからだ。昨年は、企画そのものが見送られた。そして僕たちは三度目の正直とばかりに、この2022年の3月の大会にエントリーした。エントリーした半年前は、3月にはもっと状況がマシになっているのではないかと期待を持つことは、それほど不自然なことではなかった。実際に、この日に東京マラソンは開催された。出場者全員にPCR検査を義務付けるという徹底ぶりだった。しかし東京都と違って三浦市には、そのような対策をやってのける資金力も組織力もない。この規模の自治体が主催する大会はボランティアを集めることも難しく、とてもコロナ禍での開催は難しいだろうーーそう、僕が知り合いの三浦市の職員から話を聞いたのが1月の半ばで、そして彼の予想通り大会は中止になった。

ランニングを趣味にしている人にはよく知られていると思うのだけれど、マラソン大会が天候などの理由で中止になったとき、そのエントリー料金は1円も返金されず、ただ、自宅に記念のTシャツだけが送られてくる。申し訳ないけれど普段遣いするには特定の大会の記念品としての自己主張が強すぎるデザインが多く、かといって捨てるに捨てられず扱いに困る代物だ。特にこの2年間はコロナ禍の長期化で大会の中止が相次いでいるので、多くのランナーがこの走っていない大会のTシャツだけをひたすらコレクションする羽目に陥っている(僕も3枚ほど、走っていない大会のTシャツが増えた)。

しかしコロナ禍も2年も経つと、こうしたことにいちいち動じなくなってくる。実は既に似たようなケースを経験したことがある僕たちは、一度に大人数が固まって行動しないように集合やスタート時間を工夫しながら、自分たちで勝手にこの日三浦半島に集まって、勝手に予定されていたコースの一部を走ることにしたのだ。かくして、ざっと20名弱が三浦海岸前に集まって、約10キロのランニングに出た。(当日のメンバーのうち何人かは大会のTシャツを着込んでいた。)

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同じようなことを考えている人は多くて、途中の路上では同じTシャツを着たランナーーー幻の大会への未練を捨てきれない、三浦の幽霊たちーーとすれ違った。そして、ささやかな傷を共有する僕たちは、Tシャツをすれ違いざまに声を掛け合った(これは欧米では割とあるが、日本ではあまりない光景だったように思う)。僕は、近所付き合いも飲み会も苦手なのだけれど、こうしてランニング中に声を掛け合うのは好きだ。なぜならば、近所付き合いや飲み会はすぐに敵を罵り、味方の結束を固める儀式(欠席裁判的なもの)が発生してしまうけれど、ランナー同士には敵と味方のような関係は発生しないからだ。もちろん、タイムを競う競技スポーツとしてのマラソンにはそれは存在するし、村上春樹のような自分との戦いに勝ちナルシシズムを確認するランナーもいるだろうけど、今日の現役世代の多くがそうであるようにあくまで趣味として走ること自体を楽しむランナー同士の間には、その場を一瞬だけ共有し、そこを気持ちの良いものにしたいという欲望が微かに発生するだけだ。そこには対話も相互理解もなく、それ以前にある程度以上の関心も持ちようがない。しかし、だからこそそこには敵/味方を超えた、その場に対する好意的な共有が成立する。少し大げさな話をすれば、僕はこういった「無関心的な歓待」のようなものがこれからの公共の母体になるしかないと考えている。

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話を三浦に戻そう。東京より少し早く春が訪れた三浦は、瑞々しい緑が芽吹き始めていて、大根畑のそばには菜の花も咲いていた。小ささな丘に登ると畑の向こうから穏やかな海が見えた。坂道の多い半島のランニングは普段と比べてだいぶくたびれるし、気をつけないと足を痛めがちだ。でも、少なくともそのご褒美に値する景色と、爽快感があることは間違いない。

僕たちはその後海の見えるスーパー銭湯で汗を流して、海鮮丼やアジフライ定食を食べた。端的に言って、最高だった。大会の中止は残念だったけれど、この日走った三浦の幽霊たちはきっと成仏してくれたことだろうと思う。

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有料マガジン「宇野常寛の個人的なノートブック」をはじめました。時事問題、作品批評などを中心に書いています。FacebookやTwitterの相互評価のゲームから離れた思考の場にしたいと考えています。


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