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文化系のための脱サラ入門 後編

2011年のコミックマーケットで頒布した「文化系のための脱サラ入門」後編を公開します。 10年前の原稿ですが、今読むとまた違った角度で、日本の「働き方」について考えることができると思います。前編はこちら

■会社と「交渉」する

▼と、いうことで僕は「副業」を始めました。具体的には学生時代インターネットで知り合った編集者にメールを出して、自分を売り込んだんですね。僕は学生時代、そこそこ有名だったテキストサイトで評論を書いていたので、その頃に声をかけてもらった人に連絡を取りました。そして雑誌のレビュー記事やインタビューの構成から仕事をはじめ、徐々に物書きの仕事が増えていった。そして一年半くらい立ったとき、さすがに量的にも、露出的にも会社に隠れて文筆活動をやるのは無理だと判断し、先ほど述べた会社に移ることにした、というわけです。

▼そして某社勤務時代、僕が副業で評論を書いていることを知っているのは社長を含む幾人かの幹部社員と人事担当だけだったと思います。あとは社内で仲良くなったごく親しいメンバーのみ。直属の上司を含め、ほとんどの社員は『ゼロ年代の想像力』が本になるまで知らなかったと思います。僕の方からも、積極的に話そうとはしませんでした。僕は入社の経緯からして特殊で、仕事的にも実務を期待されているわけではない。言ってみれば「ブレーン&ハブ役を期待して、腰掛け的な勤務を認める」という暗黙の約束があったわけですが、そんなことが公言されていいことはひとつもない。むしろ僕を社内で立ち回りづらくするだけだったでしょう。

▼と、いうことで僕は社内では端的に言えば半ば意図的にバカっぽい話ばかりしていました。当時僕の同僚だった人は、僕について「あまり仕事はしないでおしゃべりばかりしている人」という印象を持っていたんじゃないでしょうか。僕も当時は会社の同僚たちとは、社内恋愛と趣味のオタク話しかした記憶がない。もちろん、個人的に親しくなった人はどんどんPLANETSに巻き込んでいきましたが。

▼その代り、まあ、当たり前の話ですが会社が僕に期待している「方面の」仕事は相応にこなすようにしていました。逆に、僕がそれができないと思うたびに、会社と交渉して「距離を空けて」いきました。

▼実は僕は2008年に春ごろから、会社には週に3日しか出勤していませんでした。時期的には「ゼロ年代の想像力」が発売される少し前です。会社と交渉して、給料を減らす代わりに仕事を軽くしてもらったのです。たぶん当時収入的には既に文筆活動のほうが多くなっていたと思います。逆を言うと、僕は(1)副業の収入が本業のそれを上回るまで、(2)会社に期待されている業務を量的にこなせなくなるまで、週5日、会社員を続けていたことになります。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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