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文化系のための脱サラ入門 前編

今回は、2011年のコミックマーケットで頒布した「文化系のための脱サラ入門」を前後編で公開します。 10年前の原稿ですが、今読むとまた違った角度で、日本の「働き方」について考えることができると思います。

■はじめに

▼こんにちは。評論家の宇野常寛です。今日は「文化系のための脱サラ入門」と題して、文学や音楽が好きな人を対象にした「脱サラ」の勧めを書いてみたいと思います。しかし「文化系のための~」と題することに、僕は若干の抵抗を感じなくもない。このタイトルには分かりやすい欺瞞がある。そのことにまず読者は気づくべきです。

▼この「欺瞞」については、何のために「脱サラ」するのかを考えると分かりやすい。単純に考えると、このタイトルは「趣味を仕事にしたいと思っているけれどそれが何らかの理由でできない人」を対象にしている。そして、そんな読者に「働き方」を見直すことで別の生き方を提示することを目的としている――そんな内容を示しています。それがフリーの文筆業やアーティストとして生きる方法なのか、それともインディーズの文化活動と最低限の収入を両立させる方法なのか、あるいはその両方なのか――とにかく、普通に考えるとこの文章は、文化好きの/でも文化産業には就職していない人たちの人生をより豊かにするためのアドバイスが詰まっているこ
とになる。もちろん、僕も、僕の短い経験談が多少なりとも役に立てばいいと思ってこの文章を書いているのだから、そう思っていただいて間違いない。けれど、そんな「物語」が隠蔽するものが確実にある。それを僕は知っているので説明するほうが誠実だと考えているんです。僕は最近、いろいろ自分の仕事の仕方、もっと大げさに言えば社会との結びつきについて考えることが多くて、普通に考えれば「黙っていた方がいい」「隠蔽しておいたほうがいい」ことまで意図的に書こうとしています。その意味では、この文章はあまりお目にかかることのないタイプの、貴重なものだと思います。


▼この種の「物語」が隠蔽しているもの、それは端的に述べれば「才能」の問題です。たとえば僕の友人にはときどき、医者とか弁護士とか一流商社や有名マスコミなど、いわゆるステイタスのある職業についている人たちがいなくもない。彼らは僕と仲良くなるくらいだから、文化好きの人が多い。休日は映画館と美術館を梯子して、夜は本を読んで、ニコニコ動画を見る。そんなライフスタイルの人ばかりです。そんな彼ら/彼女らが、「もっと音楽や映画の仕事がしたい」と思っているかというと、そんなケースはむしろ稀です。社会的に「価値」が保証されている職業に就いている人は、たとえそれが一個人としては興味のないような仕事でも、「本当は~の仕事がしたい」と自分探し文化系になることはほとんどない。

▼これが何を意味しているのかと言うと、実は「脱サラ」して幸せになれる文化系なんてほとんどいない、ということです。彼らの大半は、たぶんもっといい会社に勤めて、あるいは今の職場で評価されて、心が満たされれば実は思想も文学も音楽も必要ない人たちなんです。これは普通に考えたら、読者の何割かは確実に不快に思うので「書かない」ほうがいい。しかし、僕は書いたほうがいいのではないかと最近考え方が変わってきた。そしてそれが何を意味するかと言うと、僕がこれから書くことがほんとうに役に立つ人は、日本に数百人くらいしかいない可能性が高い、ということなんです。だからほとんどの物書きはこの事実を隠ぺいした上で書く。僕もそのほうがいいんじゃないかと、少し前までは考えていた。けれど、いろいろあってやめました。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。