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「テロで社会が変えられる」という思考を定着させないために

なぜ統一教会擁護が出現するのか

 今回は安倍晋三元首相暗殺事件について考えてみたい。そしてこの事件については、さまざまな角度から述べたいことがあるのだが、今回はある視点に絞って考えてみたい。それは事件の報道の中で、犯人の意図を実現することを避けるために「統一教会と自由民主党との癒着関係を追求すべきではない」と主張する言論人が少なからず登場したことだ。
 これはよく考えれば誰でも分かるレベルの論理性を欠如した主張で、本来ならほとんど取り上げる価値すらないものだ。告発の方法が不正だからという理由で被害が進行中の問題を放置するなどという選択が、許されるはずがない。当然のことだが「それはそれ、これはこれ」だ。僕たちはテロという手段を絶対に認めないという大前提に基づいた態度表明と対策を全力で行いつつ、旧統一教会という反社会的な団体とその政権与党(自由民主党)との癒着を徹底的に追求し、膿を出しきらなければいけない。この点は議論の余地すらなく、その意味においては僕もあまり関心はない。むしろ僕の関心は、なぜこのようなメチャクチャで、本末転倒も甚だし主張が、それなりのボリュームで出現してしまったのかという点にある。そして結論から述べると、山上を暴走させた一因がこのように錯綜し、機能しないこの国の言論空間にあるように僕は思うのだ。

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