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「遅いインターネット(先行公開)」#4 走りながら考える

もう忘れてしまった人も多いと思うけれど、2016年のリオデジャネイロ・オリンピックのクロージングでは、来たるべき2020年の東京オリンピックの予告すべく安倍首相がスーパーマリオのコスプレをして登場した。少なくとも国内的には称賛を浴びたこのクロージングの演出に、僕はあまり乗れなかった。それは政治的な理由からではない。このクロージングの演出には何一つ、未来がないからだ。過去の栄光を誇ることはできても、未来に語るものは何一つない。このクロージング自体が僕には、いまのこの国の姿そのものに思えたのだ。

■走りながら考える

 2016年8月21日の午後8時(現地時間)――リオデジャネイロで開催されていた夏季五輪の閉会式が全世界に中継された。4年後の2020年の開催都市は、東京。二度目のオリンピックを迎えるこの地球の「裏側の都市へ、五輪旗の引き継ぎ式が行われた。
 引き継ぎ式は大手広告代理店を中心に編成されたチームによって演出され、そしてその中でも注目を集めたのが式典の最後を飾った安倍晋三首相の登場につながる映像パートだった。北島康介、高橋尚子といったかつてのオリンピックで活躍したアスリートたちに混じって、キャプテン翼、ドラえもん、ハローキティ、パックマンといった戦後マンガ、アニメ、ゲームのキャラクターたちが競演し、「規律と調和」「おもてなし」といった「日本の精神」がアピールされていった。
 そして、リムジンに乗って登場した安倍はこのままでは閉会式に間に合わないことを悟ると、車中で〈スーパーマリオ〉シリーズのマリオに変身する。渋谷の駅前に現れたドラえもんが、四次元ポケットから土管を取り出してスクランブル交差点に設置、安倍は土管の中に潜りワープを開始する。地球の裏側、リオデジャネイロへ向けて。すると、中継画面は会場のライブ映像に切り替わる。ステージの中央にいつの間にか設置されていた土管からマリオに扮した安倍本人が登場する――。
 内外からの賞賛を集めたこのクロージングのパフォーマンスを目にしたとき、僕は強く思った。このクロージングの演出はたしかに過不足がない。そこにはものづくりとサブカルチャーの大国として進んできたこの国の戦後の姿が、内外の視線を織り交ぜである程度適切に記述されているのは間違いないだろう。しかし、同時に強く感じた。ここにはなにひとつ未来がない、と。そこには、これからこの国はこうありたい、という部分がすっぽり抜け落ちていた。かつての、1964年の東京五輪は経済大国化という夢の結晶だった。復興から高度成長へ、そして経済大国へ。首都高速道路、東海道新幹線、カラーテレビ――官民のインフラ整備が象徴するように、あのオリンピックは来るべき未来のビジョンと密接に結びついていた。しかし……
 この優秀な、と言ってよい、いっけん過不足のないクロージングに対して僕が物足りなさを感じるとすればそれは、未来のなさ、なのだ。戦後という時代の成果物と、そこに息づく「日本的な」精神を歴代のトップアスリートに混じって戦後サブカルチャーのキャラクターたちがアピールし、そして時の首相がマリオとして現れる。そこには既に失われた時代の栄光を振り返る力はあっても、未来を構想する力はまったく、ない。僕にはあのクロージングが、同時にもはや日本は過去にしか語るべきもののない国になってしまったことを告白しているように思えたのだ。

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インターネットによって失った未来をインターネットによって取り戻す――
インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げました。しかしその弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例です。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。


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