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『ゴールデンカムイ』と「生き残ってしまった新選組」の問題

 6月前半は、『群像』の新連載(「庭の話」)と、10月に刊行予定の本、そして先月からはじめた「宇野ゼミ」の作業が重なって、さすがににっちもさっちもいかなくなってしまった。そのしわ寄せが、要するにこのnoteのマガジンに寄せられていたのだけど、これから月末までにしっかり帳尻を合わせていく(今週2本、月末に1本更新する予定)ので、見捨てないでいただきたい。

 さて、今日は先日完結した『ゴールデンカムイ』について書こうと思う。この作品については、月初の座談会でかなり話したのだけれど、今日はその議論を踏まえた総論、のようなものを試みたい。

 この作品は、とりあえずは今日の「なろう系」のライトノベルなどで1分野を占める、願望充足的な物語のパターンを通して、読みやすく自分の好きな分野について、その知識を与える面白さを狙った形式を、マンガに応用したものと考えればいいだろう。なんだかんだで作者のアイヌ文化への深い愛と情熱はひしひしと伝わってくる(それだけに、連載版の最終回はもう少し和人がアイヌの土地を侵略したという歴史に踏み込んだほうが良かっただろうな、と僕も思う)。だがそれ以上にこのマンガを特徴づけているのは、日露戦争後の北海道(と、北方領土と樺太)を、まるで1930年代の満州のように、国家から革命勢力、そして犯罪組織までさまざまなプレイヤーがその不安定な政情に乗じてそれぞれの夢を、野望を追求する混沌とした世界として描き出したことだろう。

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