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ミシェル・ウエルベック『滅ぼす』と「自己愛」の問題

今更だけれどミシェル・ウエルベックの『滅ぼす』を昨日読み終えた。僕の親しい友人にはなぜか昔からウエルベックのファンが多いのだけれど、僕は彼の優雅に、ユーモラスに、アイロニカルなナルシシズムを提示することに腐心する……という書き方に、勇気を持って言えば「つまらなさ」を感じることが多かった。特にちょっとウンザリしたのは新型コロナウィルスによるパンデミックが拡大してきたときに彼が表明したメッセージだ。

要するにここでウエルベックはコロナ禍が「かねてより進行していた」新しい生活様式を加速することに対して、「思慮深く、アイロニカルな諦念とともに」嫌悪を表明している。しかしウエルベックに古い生活様式を擁護するロジックもなければ、よりよい新しい生活様式を提示する力もなく、ただ「自分は何もかも分かっている」という虚勢だけが語られる。自分は新しい生活様式の空疎さを分かっている。そしてそれに有効な批判をできない自分の限界も分かっているし、勇み足をしない慎み深さも自分は持っているーーそういったメタ・メッセージがこの態度表明の全てで、僕は最初にこれを目にしたとき、これを読んで大はしゃぎでTwitter(当時)やFacebookにシェアする知り合いの顔が即座に浮かび、酷くウンザリした記憶がある。こういったSNS上の「パフォーマンス」で救われるのは彼らの自意識だけで、言葉を選ばずに言えばちょっとその安っぽさが見てられないな、と思ったのだ。そしてこの「見てられないな」という感覚は、彼の小説を読み終えたときにも必ず微かに覚える感覚でもある。もちろん、ウエルベックの小説家としての高い力量については異論はないが、その一方でその物語の核にあるものに、いつもどこかで白けてしまう……というのも偽らざる本音なのだ。

では、この『滅ぼす』はどうだったのか。以下、ネタバレ全開で書いていこうと思う。

物語の舞台は2026年の近未来、主人公は50歳を間近に控えた経済大臣の秘書官ポールだ。彼は与党陣営の一員として経済大臣ブリュノをサポートする立場にある。選挙戦が進行するなか、ポールは私生活のレベルでは冷え切った妻との関係や突如脳梗塞で倒れた父の介護問題に悩まされ、そして官僚としてはフランスに迫る正体不明のテロ組織の策動に対抗していく。相変わらず、アクチュアルな問題を取り込みながら、高い解像度で物語を展開する力量はずば抜けていて、近未来のフランスが舞台でありながら多くの先進国のホワイトカラー(特に中高年男性)が、これはまるで自分のことのようだ、と「共感」しながら読むことができるだろう。そして物語はもと情報部員だった父の(脳梗塞によって)失われた記憶が、この謎の組織の全貌を解明する鍵になる……。

と、思わせたところでウエルベックは見事にはしごを外す。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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