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『機動戦士ガンダム 水星の魔女』と「箱庭」の問題

 更新が遅れて申し訳ございません。実は、ついに僕もこの3年世界を震撼させているあの感染症にかかってしまい、しばらく寝込んでしまっていました……。ワクチンは4回摂取していて、外出時にもかなりきをつけていたのだけど、ダメでした。みなさんも(かかるときはかかると思うけれど)お気をつけください。そうじゃなくても、1月はスケジュール的にゲロ吐きそうなくらい忙しかったのですが、ここで寝込んだために完全にいろいろ破綻しました。たくさんの仕事が半月〜1ヶ月、もろもろ後ろ倒しになり、いま、猛烈に凹んでいます。が、ここから徐々に盛り返していきます。よろしくお願いします。

 このマガジンは今日と、あと週末に1本ずつ更新したいと思っています。今回取り上げるのは、少し遅くなりましたけど、やはり「例のアレ」です。

 先日第1シーズンが完結した『機動戦士ガンダム 水星の魔女』についてはやはり一言、書いておきたい。これはおそろしく「よくできた」作品だと僕は思うし、個人的にも毎週放送を楽しく観ていた。最初は興味が持てなかったプラモデルもだんだんと欲しくなって、今は3月の主役機ガンダム・エアリアルの改修型の発売を楽しみにしている(転売屋に負けずに、確保するためにがんばります!)。

 しかし、その一方でこうした作り方が「正解」になってしまう今日の情報環境とこの国のアニメーションの想像力の関係については、別の次元で考えさせられることが多々あった。今日は、そのことを書いていきたい。

「刻の涙」を見ていない若者たちのための「ガンダム」?

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