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與那覇潤 平成史──ぼくらの昨日の世界 第8回 進歩への退行:2003-04(後編)

今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史──ぼくらの昨日の世界」の第8回の後編をお届けします。『冬ソナ』のヒットや日韓W杯を経て、日本と韓国の関係の変化が誰の目にも明らかになった2000年代前半。2ちゃんねるの普及などにともないインターネットの影響力が増す一方、いよいよ著しくなった知的文脈の衰微は、人文思想の再編を促します。

韓国化する日本?

「一言でいえば、×××××にあるのは、我々はみんな違うと思いたがっているが、日本は本当は韓国と同じだ、というメッセージである。
 日本の文壇は、日本は韓国と同じだ、アメリカなしにはやっていけない、といわれて腹をたてたのである」[16]

 この一節だけで出典を当てられる人は、かなりの読書家でしょう。季刊『文藝』の韓国文学特集(2019年秋号)がベストセラーになるなど、目下の第三次韓流ブームがらみの記事にもありそうな文面ですが、正解は加藤典洋の処女作『アメリカの影』で、当該部分の初出は1982年の夏。伏字に入るのは「田中〔康夫〕の小説」で、2年前に発表されてセンセーションとなっていた『なんとなく、クリスタル』を指しています。

 2000年代の前半は、日韓関係の大きな屈折点でした。2001年春の「つくる会」教科書の検定通過と、同年夏以降「毎年」の小泉首相の靖国神社参拝の結果、政府間の関係が悪化の一途をたどる反面、03年4月からNHK-BSで放送された韓国ドラマ『冬のソナタ』(本国での放送は前年)が爆発的な評判を呼び、地上波でも再放送が繰り返されるロングランに。05年の『宮廷女官チャングムの誓い』(韓国では03年)に至る、第一次韓流ブームに火がついてゆきます(ちなみに第二次ブームは2010年前後で、KARAや少女時代などのK-POPが中心)。

 小室哲哉がニューヨークやロンドンのクラブシーンを紹介していた平成の前半までは、先進国といえば「欧米」と同義であり、進んだ国の先端的なカルチャーを追いかけるのがクールだとする価値観は自明のものでした。しかし、近代以来長らく「遅れた」国とみなされてきた韓国のドラマが大ヒットし、ロケ地へのツアーやファッションの模倣が流行するとは、どういう事態なのか。同時代の解説の多くは、韓国の遅れゆえにこそ、一昔前の「日本のトレンディ・ドラマを彷彿とさせ」「懐旧の念を誘う」[17]からだといった説明に終始しましたが、ほんとうにそうなのでしょうか。

 先に引いた加藤さんの評論は、欧米のブランドで着飾りながら暮らす80年代初頭の日本のノンポリ学生を描く『なんとなく、クリスタル』を、よりにもよって文壇で唯一、この頃からGHQ批判などの反米保守的な論説を書き始める江藤淳が激賞した謎を解こうとして、同書が(いまだ軍政下だった)韓国でも数種類の海賊版が出回るヒットになったことに注目します。家父長的なマッチョさとは無縁の恋人とのセックスを、女性主人公の視点であたかも相手に従属しない対等な関係のように描写する『なんクリ』は、「もし、米国とそのようにつきあえたら……」という日韓に共通の淡い希望こそを隠れた主題にしている[18]。そこが江藤の琴線に触れたのだ、とする解釈ですね。

 こうした目で『なんクリ』ブームから四半世紀ほど後の『冬ソナ』のヒットを眺めなおすと、驚くほど類似の構造を見出すことができます。「ヨン様」と呼ばれて日本の主婦を熱狂させた、ペ・ヨンジュン扮する伏し目がちな男性主人公は序盤でトラックに跳ねられて退場するも、まったく性格の異なる「米国育ちの社交的な実業家」として再登場。実は、母子家庭ゆえの影のある暮らしを悔やんでいた母親が、「父親のいる幸せな家庭で育った」人生を息子に与えてあげたくて、交通事故を機に別の人格を刷り込んでいたのだった──。ヨン様一家の「不在の真の父親」に北朝鮮、母親が捏造した「記憶上の父親」にアメリカを読みこむことは、さほど難しくありません。

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