#39人と共に暮らす。予感、そして実験。
こんにちはぼんやりです
6月に入り我が家wakurabu house に仲間が1人増えました。
ここから7人暮らしが始まります。
といいますか、すでに始まっています。
人が1人増えるということは僕らにとってとても大きなことです。
1人1人が自分らしく、共に暮らす、共に生きる
この何でもないようなことが、
実はやってみると難しく、それがなんとも楽しいのです。
そもそも自分らしくとは何か、暮らすとは生きるとは何か、いったい何をしようとしているのか
と僕はついつい問いが大きくなってしまいます。
今日はその中のいったい何をしようとしているのかというところを探求出来たらなと思います。
というのも、今朝いきつけのcafeでまた出会いがありまして、
また
君たち7人は何者なのか?
なにをしようとしてるのか?
という問いをいただき、
そのまた、いつもの通りうまく答えられなかったのですが、、、
その時はうまく答えられなかったのですが、今日は後になっても問いが不思議と残り、
問いを味わってると
ふと、僕らは『実験をしている』
そして、その実験のもとには言語化こそされていないが『仮説や予感』がある。と思いました。
今日はその、僕らが(僕が)しようとしている実験、そして何を予感しているか。
ということをシェアしていけたらと思います。
さっそく、僕の思ってる結論からいきます。
以下その時の僕の感じたメモです。
どうでしょうか。
うーん。
どうでしょう。
キーワードはこうですね。
1・自分のまま
・存在の安心
・共に暮らす
・聴き合う
2・開かれた何者でもないわたし
・存在の無限性
・実験
・間から何か素晴らしいものが生まれてくる。
茫漠とした開かれた自分で、開かれた互いであること。
存在の安心は聴き合うことから、共に暮らす中から生まれる。
その不完全な人間、不完全なお互いのままで共にいられると、意図性を超えた新しい展開が生まれる。
そんなことを僕は予感しています。
こうして書いていると説明しようすればするほど、問いがどんどん出てきてしまいますね。
自分のままとは、茫漠とした自分とは、安心とは、安心が生まれるとは、そもそも生まれるものなのか、生まれるとしたらそのような聴き合い話し合いとは、安心が生まれる暮らしとは、そもそも自分とは、どうしたらそのような開かれたお互いであれるのか。
探求はつきません。
予感はあるのですが具体的にどういうことなのかは何ひとつ知らないのです。
でも、だからこそ
僕はこの自分の予感をもとに今の暮らしをしています。
きっとこうなるだろうという、これは予感という希望かもしれませんが、
僕の中では希望というよりかやはり予感なのです。
だからこそ、身をもって知っていきたいのです。
いったい何が起こるのだろうと。
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