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今、振り返る19世紀からの思想の歩み(12) 今から見れば古くて新しい

 前回、3.11の集いで披露された詩について、この場を借りて一言申し上げた。友人が、「311への思いは各々あることですが、熱心に批判をしてくれるというのは凄いことです。それだけの存在感があり、無視された存在でないことの証ですね。」と返してくれた。加えて「世間の大半は何も反応しない、なかば無視の対応の中で批判すると言うことは、実は大半は共鳴するものの納得できないところがあるという主張でしょうね。」とも言う。
 この友人の言ではないが、全く自分から離れた(つまり家族ではないということ)声を聞けたということは、「わかっちゃいるけど」(植木等の歌にあった)、なかなか意味深いものだと思う。その意味でも、批判を寄せて下さった方にお礼を言いたい。その方からは、ご丁寧に有難うと、短いが確かなお返事をいただいた。
 フーム、大したものだなぁ。捨てたものではないぞ、これは。直ぐ喧騒したがる世相への、静かな抵抗とも思った。

ロンドン、リージェント・パーク (表紙も)

 さて、今に通じる思想の歴史なんだが、そりゃ、論じつくすということではない、言うまでもないことなんだが。いい加減年を食って生き延びた者が、これまでのことをあれこれ振り返りつつ、改めて「勉強」した結果、こう思っているということだ。簡単に片づけて欲しくないというのが本当のところだ。
 資本主義の起源をいつどこに求めるか、という問題は確かに一度は通る高等教育のテーマであり、決定的な一つの答えがあるわけではない。こうした問題は沢山あって、ぼくが取り上げ、言及することと言えば、もちろんそれらの解決に一歩でも近づけようとということではない。学者、研究者たちの存在意義は、これらに肉薄し、あらゆる資料を詮索して事態を明らかにしていこうということで、むろんこうした探求を高い研究者の志と思う。
 さて、しかしどうも19世紀末にかかれたフリードリッヒ・エンゲルスのもの(マルクス「フランスにおける階級闘争、1848年から1850年まで」への1895年版序文、1895年3月6日記)や彼の高弟であったベルンシュタイン(「修正主義」を真正面から唱えた)に対する理解は、一部の僅かな研究者を覗いて、相も変わらず、旧態依然からあまり出ていないように思える。というのも、いわゆるマルクス主義が、「ソ連」の公式的見解を支持しなくても、解釈につぐ解釈で、教科書的、教条的になって、マルクスのナニナニが専門です風な思い込みが権威あるものと思われがちなことに原因があるあろう。

リージェント・パーク

 しかも、人間の生涯期間とも言える約70年間(実質的にはもっと)、これでもかこれでもかと仕込まれたロシアの天才政治家レーニンの組織論や政治、経済論、共産主義認識に、すっかり洗脳された頭はそうたやすく変化しないのである。
 例えば、鋭く、評論の自主性を重んじるある方(亡くなって10年以上経つ)など、読んで感心するところ少なからずなのだが、ソ連崩壊後でも、「民主集中制」が変われば云々と、革命の伝統を捨てきれないでいたようである。
 そういうことは枚挙にいとまがないことと思われる。だから別の面から見よう。こういうことは昨今余り顧みられないかも知れないのだが、アナーキストのことやサンジカリストのことだ。両者を結んでアナルコサンジカリズムという形態もあるけれど、資本主義が産業資本を軸に金融も支配し始めるイギリスに注意しよう。
 なぜイギリスか。話せば長い(笑)ことになるが、常にドイツを思い起こすことにしよう。古くて新しい問題に気づくことがあれば、非常に嬉しい!
 今回は、ちょっと短いのだが、勘弁・・・。

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