イタリアのクレマにて、まわり道の素晴らしさに気付く
ミラノから1時間でいけるクレマという場所に、Call me by your name という映画のロケ地があるらしい。
映画のはじまりに、”北イタリアのどこか” と字幕が入るのだけれど(これがまたお洒落)、わたしはその”どこか”に足を踏み入れてみたかった。
ミラノという中心部から、列車に乗り郊外へと進む。徐々に高い建物がなくなって、荒涼とした大地や、だだっ広い畑に低くて小さい建物がポツポツみえるだけになってきた。雲が切れ、穂が黄金色に輝いて透き通って見える。
北イタリアの避暑地、大好きな映画のロケ地は一体どんなところなんだろう。
満員だったクロスシートの車両は、見渡す限りだと、いつのまにかもうたったの5.6人になっていた。
その中のひとり、斜め前のボックスの後ろ向きの席に座っていた青年と目が合った。軽くあいさつをする。
青年がなにか話しかけるも、距離があるので聞こえない。聞き返し、また同じことをいわれる。それでもわからないわたし。
青年はこちらのボックスにやってきて、向かい合うように座る。世間話がはじまった。
お互い英語が上手くなく、拙く、ごちゃごちゃで、半分くらいは通じない。
列車は止まらないけれど、会話はすぐに途絶えてしまう。会話を埋めるように、車窓からみえる風景をお互い見る。
ぎこちなくて、照れくさいような感じ。
クレマまではあと4駅だからねといい残し、青年は列車を降りる。わたしはまたひとりになる。一駅二駅とカウントしながら、クレマというアナウンスを聞き逃さないように注意する。
クレマにたどり着くと、豊かな緑と鳥の鳴き声がした。クレマにも一応、中心街があるらしいのだけど、駅の周りには公園と車道、住宅がぽつぽつ見えるだけだった。この地はいわゆる生活圏なのだろう。
中心地に行こうとポケットWi-Fiの電源を押す。繋がらない。何回か試みるも、繋がらないのだ。
道ゆく人に尋ねるも、ほとんど英語が通じない。彼らはイタリア語で色々わたしに言ってくるのだ。
どうしたものか。
とりあえず、公園に向かい、ベンチに座る。人々の動きを見ていると、みんな同じ方向に向かっているように見えた。
もしかしたら、公園を抜けたところに中心地である大きな歩道があるのかもしれない。
人についていくように足を進めると、案の定、街に着いた。
一言で言うと、素晴らしい街だった。
ヨーロッパならではの建築様式、地面は基本石畳で、緑もある。
長閑なところだ。
昼下がり、ゴーンと鐘が鳴る。
日光が徐々に柔らかくなり、恍惚とした街の音がそんな光に包まれ霞んでいる。
子どもが遊んでいる声があちこちから聞こえる。学生が公園で本を読んでいたり、老夫婦がテラスで食事をしている。
なんだかもはや、撮影場所に行かずとも満足になっていた。Wi-Fi の調子は戻ったけれど、使うのをやめてみる。
目的地を地図で探さずに、Googleを使用せずに、遠くまで続く石畳を歩いた。
大きな一本道には、いくつもの分かれ道がある。分かれ道、細い道にも進んでみる。
景色をいちいち楽しんでいると、大きな広場にたどり着いた。クリーム色の大きな建物と、特徴的な白い花模様の円盤が中心にある、茶色の教会が隣り合っている。
既視感があった。
ここだ!
エリオとオリヴァーのふたりが自転車で来ていた場所、そう、そこはわたしが目指した撮影地だった。
散策している途中で、偶然たどり着いたのだ。
特別な時間だった。
今の社会、大抵の人が目的地に最短ルートで向かう。行きたい場所に素早く向かう。
わたしだってそう。
とくに、知らない土地にいるときはそうだ。
効率よく、いろいろな場所に行かなければいけないという、謎の使命感みたいなものがあるのだろうか。
ことあるごとにGoogleマップを駆使していた。目的地に着くのは非常に簡単で、何も考えずとも、人に聞かずとも、地図が案内してくれる。楽チンで、効率的だ。
それに、インターネットが繋がらないと、不安で仕方がないと感じる。
目的地にだけたどり着けばいい。まわり道のおもしろさは知らなくていい。
たしかにつまらないけれど、色々なところにできるだけたくさん行かないと、なんとなく勿体無い気がした。
でも、そんなことなかった。
今回ではローマやミラノ、過去に行ったほかの国でもマップを駆使していたわたしだけれど、小さなアクシデントから、まわり道の楽しさに気付いたのだ。
地図が無いと、街だけを味わうことができる。他の素敵な場所を知ることができる。
一点に集中しているはずの視点は分散され、横の塀を歩く猫にも、地面に生えた小さな花にも、おじいちゃんが伸びをしている姿が見える。
クレマは小さな街だから、迷うことも、ものすごく遠くにいってしまう恐れもまったくなかった。
道もかなりシンプルで、まわり道初心者には最高の街である。
わたしは、宿泊先のミラノまで、ネットに繋がなかった。
英語があまり通じない土地で、道を聞いたり乗り換え場所を聞いたりしなければいけない。
ただの、わたしの中の小さなチャレンジである。
技術に頼らない旅人はもっとずっとたくさんいて、ずっと前からもっと大きな土地で、広範囲にそんなことを繰り広げているだろうけど、個人的なこととしては、これは大きな発見なのだ。
色々な人とコミュニケーションを取って、都度都度不安になるけれど、地図が簡単に案内してくれるよりもずっとずっと楽しいことだった。
これから、もし時間が余裕にあるそのときは、たくさん回り道して、できるだけ非効率な旅をしたい。
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