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旅の終わりはギリシャの孤島で過ごしたのを思い出す

最盛期は古代と言われているヨーロッパ文明の原点であるギリシャ。
今回のヨーロッパ旅の最後の国ギリシャの空港にたどり着いたころには、17時を回っていた。
アテネの治安を心配していたので、早急にバスに乗り、市内に向かう。市街の中心にある広場に到着すると、ざわざわと、中心街の喧騒が聞こえてくる。
人がごった返していて、石畳の歩道でキャリーケースを運ぶのはかなり大変だった。道に沿って店が窮屈に並んでいて、窮屈そうに人が移動している。
細く、入り組んだ道を進んでいくと、宿泊先であるゲストハウスについた。
1,200円ほどで泊まれるドミトリー。
安心のかけらも感じられない6つの二段ベッドが入った部屋に案内される。
ほとんどのベッドが埋まっており、ちょうどわたしで一杯だった。
服も着ないでウロウロしている小汚い人や、破棄のない死にかけの人が大半を締めていて、部屋について早々逃げ出した。

適当にレストランに入り、ギリシャに来てからの大のお気に入りであるフェタチーズ サラダを頬張りながら考える。
ボールの上に贅沢にのった大きなフェタチーズを崩し、レタスやオリーブ、胡瓜と混ぜて、酸味のあるフルーツドレッシングと敢えて食べる、感動的に美味しいサラダ、出会えてよかったと感動できる一品である。

ここであと3日も寝たくない。どうしよう。もうすぐに島に行ってしまおうか。
お湯の出ないシャワー、外からずんずんとお腹に響く音のリズムと、見知らぬ人のいびき。冷え切った身体に極薄のタオルケットを被りながら、わたしは翌日発のサントリーニ島へのフライトチケットを取った。

翌朝、キャリーケースはゲストハウスに預け、最低限の荷物を持ち、再び空港に向かう。小型の飛行機に乗り込み、一時間のフライトでサントリーニ島についた。
飛行機のドアから直接陸に出て、歩いて空港出口に向かう。暖かく乾いた地中海の島の風がびゅっと吹く。

出口にはツアーコンダクターやホテルの送迎担当のひとがたくさん溢れていた。
わたしも宿泊先のホテルの送迎を頼んでいたので運転手を探すけれどなかなか見つからない。徐々にひとが減っていき、20分くらい途方に暮れていると、わたしの名前を書いたホワイトボードを胸の前にかかげた小太りのおじさんが、ギリシャ語で話しかけてくる。

何回も名前を叫んだけど返事なかったと言われ、ごめんと言う。

車に乗りこむ。
アクセルを限界まで踏んで、丘を登る。うるさすぎるエンジン音と対称的に動力の低くスピードの出ない車は、どんどん海から離れていった。

フィラにあるホテルに着き部屋に行くと、清潔な室内に太陽のデザインが縫われたキルト地の掛け布団と、ガラスで囲われた綺麗なシャワールームが見えた。
途端に元気が出てきて、街へ行くバスを調べる。

バスにのり、広漠とした土の平地が見える丘をうねうねと30分も進むとイオという島の繁華街に到着した。
雲ひとつ無い晴天で空は眩しく、地表は痛いくらいに暑く、タンクトップのワンピースを着ていても厳しいくらいだった。
石灰で形成された真っ白な家々の壁面と、群青色の屋根が、濃いピンク色の花がより鮮やかに、均等に照らされている。

島の高地にあるイオからはエーゲ海を見渡すことができた。
遠くに水平線がぼんやりと見え、空と海の境界線が曖昧になっていた。

360度どこを見ても現実離れしていた。
意味もなく、同じような写真を何枚も撮った。

ブラジルの女性と仲良くなり、一緒にシーサイドレストランに入ってギリシャの料理を食べたり、お土産を見て夕方を待つ。
午後4時ごろ、太陽はまだ小さく黄色く照らしているものの、夕方を迎えるように空気が急に冷え込んでくる。さきほどまで30度近くあった気温はぐんと下がり、カーディガンを着ても肌寒いくらいだった。

世界一綺麗な夕日が見える場所として有名なこの島。せっかくなら、眺めのよい場所にいこう。
わたしたちは、サントリーニ島と海を見渡せる展望台のようなところにきた。人が溢れかえっていた。
みんな、夕日を待ち侘びていた。

やがて、太陽は濃いオレンジ色に変化する。
上空はまだ昼間とは変わらない青色をしていて、水平線に近付いた太陽と、伸びるように海に平行して横に広がるその光がまだ眩しく、鋭さ失わず街全体をも照らす。
わたしの前で、スマホのカメラ画面で夕日を抑えている女性の髪が太陽の色に光っている。
水面に反射した光はこちらに強く真っ直ぐと伸びていて、風で揺らいでいた。

太陽は海に沈んでいく。目の光景を目に焼き付けるように眺める。

ぷつっと、最後に残った、火のように赤くなった光の塊が海に消えた。
太陽は完全に落ち、消火後みたいに、赤かった空はふたたび青く、そして先ほどより数トーン暗くなっていく。
わたしは寒さを思い出す。いつのまにか街には灯りがついていて、イオの街はさまざまな色でライトアップされ、幻想的に色付いていた。

イオの夜の街を散策したあとバス停に向かい、帰路につく。
ブラジル人の友だちは新たな出会いを求めわたしをクラブに誘ったけれど、朝まで踊る気力はなかったわたしはフィラの街でケバブを食べた。

風の島。
サントリーニ島からフェリーに乗って辿り着いたのはミコノス島という、これもまたサントリーニ島に次ぐ人気の観光地、エーゲ海に浮かぶ数々の離島のうちのひとつだった。

風が強かった。強風過ぎて、足が進まない。吹っ飛びそうになるくらいに風が吹く。
送迎の車がつき、ホテルに向かう。ミコノス島はサントリーニ島よりもホテルの価格が安く、6000円も払えばとても綺麗な部屋に泊まることができた。

涼しい日陰からみえるベランダには洗濯物がいくつか干されていて、風が吹くと揺れる。穏やかなホテルは、忙しないヨーロッパでの日々を送っていたわたしの心を癒やしていった。

ミコノス島の街に出るには市バスに乗る必要があった。炎天下の中、バスが来るのを待つわたし。
時間になってもバスは来なかったので、人生初のヒッチハイクをした。坂道をずっと下りていき、砂浜に沿って車が走る。10分も経たないうちに賑わってくる。
建物のつくりはサントリー島と同じだったけれど、ミコノス島の中心地はほぼ海の高さと同じ位置にあった。波が陸地に打ち寄せ、レストランのテラスに透明な海が流れ込んでいたのが印象的だった。
散策していると、穏やかな丘陵の上に佇むおおきな5つの風車がある場所に辿り着く。風車の並ぶ場所から海まで一望できるのだけれど、どうも風が強すぎてそれどころでは無い。
この島の主要エネルギーは風力発電で、およそ400年前から風車が利用されてきたらしい。人々の知恵はいつでも偉大である。

太陽も沈んできていて、またしても急に冷え込んできた。バスも見当たらないし、散歩も兼ねてと思い、ホテルまで続く長い海岸線を足で進んでゆく。坂道を上るにつれ風が強くなる。強風が行手を阻み、立っているのもままならない。数十メートル歩くだけでも精一杯だった。
きっと誰も歩こうとしないこの道。車道と崖を区切るガードレールも存在しない。景色を阻む障害物もなく、横を見れば夕日と海だけの景色が一面に広がっていた。
道のりの途中、疲れたわたしは車道から逸れ崖の上を歩いてゆく。
真下に激しく波打つ海が見えた。崖に座り、正面を眺める。

目の前にあるのはどこまでも続く海と、ただひとつ空に浮き、大地を赤く染める太陽だけだ。

風車

海岸の高さと同じ位置のレストラン

ブーケンビリア

わたしの嫌いなギリシャビール

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