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長編ファンタジー小説 獣の時代

4.金の鉤爪、銀の斧③

 何かが頭部の周りにまとわりつく奇妙な感覚に、砥上は何度も頭を振った。

 秋山の声によって異変をきたしたのは砥上だけではない。操り人形よろしく床に膝をついた甲冑の前には、髪を男の子のように短くした少女の影が出現した。甲冑の姿と同じように膝をつき両手を合わせ、目をきつく瞑っている。

 前方に伸ばした秋山の右手の先に、三つの陣を含む多重魔法陣が出現した。魔法陣を境にした彼の背後に恐ろしく巨大な黒い影が靄る。

「時と数千の星を飛び越え」

 魔法陣がさらに分岐し立体的に変化する一方、銀の甲冑と両手を組む祈る少女の姿の存在感が逆転した。今や少女が実体で、甲冑が幻のようだ。

 もしかしたらこの少女は、甲冑に宿る魂なのか。

 これまでの砥上だったら魂やら魔法なんて胡散臭い言葉、頭を過りもしなかっただろう。だがこうして自分自身が説明のつかない存在になり、魔法を使う吸血鬼であると秋山と会い、さらにはここに来るときのように死神の姿を見てしまったらもう、自然とオカルト脳になってもおかしくない。


 魔法陣の中に巨大な黒い恐竜の顔が出現する。白い鋸歯が生えそろう口の中から黒い舌とともに青白い炎が顔を出した。

 あの炎で焼こうというのか。そんで焼かれた魂はどうなるのか。

 死神に連れて行かれたアイリスの寂しげな笑顔がチラつく。
「ちょっ、ちょっと待ってよ」

 反射的に飛び上がると完全に自分のことなど忘れ去っているような秋山の右手に飛び乗った。多重魔法陣に翼が触れ構成元素が途切れる。

「うっわっ」
 秋山の右手がスパークし、魔法陣が霧散した。途中まで呼び出していた黒竜の気配が離れていく。

「わ、ごごごめん」
 もしかして途中で止めたせいで魔法が暴走してしまったのだろうか。またもや魔力の火花に驚いてしまったが、それよりも心配なのは秋山のほうだ。せっかく立ち上がったのに、いまの衝撃のせいかまたよろよろとその場に腰からへたり込んでしまった。


「いや……いい、大丈夫だ」
 意外にしっかりした返答に、砥上は発達した鳥の胸筋を撫で下ろした。声の調子もいつもの通りだ。少し、考え込んでいる感じはするが、ちゃんと自分や周りを把握している。


 危なかった。もっと深く呼んでいたら、右手のスパークどころでは済まなかっただろう。
 安堵のため息を漏らしたものの、尻餅をついた秋山は隣で心配げに覗き込む犬鷲を睨みつけた。

「つかお前、魔法が充填してる時に何しやがる、危えだろ」
 砥上が腕に乗っても乗らなくても、混乱に乗じて現れたオリヴィエッタの呪文の詠唱が止まったのだから、あの魔法は自然終息したはずだ。なのに途中で無理矢理止めようとしたから、右手に集まったオリヴィエッタの魔法がスパークした。

 魔法のことを何も知らないのに、無駄に持ってる強い力をぶつけてくるド素人が。

「だってこの子、消そうとしてたでしょ」
 とことん中途半端なくせにこの正義感はどこから出てくるのか、甲冑と自分との間に立ちはだかる大きな鳥を彼は見た。

「もう、戦意ないよ」

 それに側から見ても傷つき、疲労困憊した秋山は限界だった。今の黒い何かを呼び出したところで制御できたのだろうか。

「たりめーだ馬鹿野郎、魔名の格が違うんだ」
 魔名の中でも最上位に位置するオリヴィエッタと無名の魔名とではそれこそ犬鷲と鶯ほどの差がある。その証拠に、名前を呼ばれただけで”エルザス”の守護魔法は消失してしまった。
 おそらく力があったなら、オリヴィエッタと同じことを秋山もしていた。暴走した魔名なんて野放しにはできないし、ここが人間界である以上いっそ消滅させた方が安全なのだ。だから瞬間的に身体を乗っ取られたものの、オリヴィエッタのしようとすることに賛成だった。

 手から離れたままの”エルザス”のハルバードを手にし立ち上がりかけた秋山は、「ん?」と考える表情をした。

「まだこうして形があるだけマシ……って、お前」 甲冑の前できょとんと立つ鳥の姿の砥上を秋山は見た。
「見えるのか、そいつが」
 秋山の目にはどう見ても、”エルザス”はただの甲冑にしか見えない。
「秋山君には見えないの」
「なぜ?」と言いた気に首を傾げる鳥に、秋山がイラッときたのはいうまでもない。

「悪ぃな、俺にはどう見ても甲冑にしか見えねぇわ」

 そして肩口の負傷でろくに使えない左手を振って、砥上に退くように合図する。「おらどけ」
「退いたら消すの」
「俺がこいつに消されかけたんだよ」
 オリヴィエッタのおかげで戦意を喪失し、守護魔法が切れたいまなら”エルザス”を物理的に破壊できる。
「なんとかしてやってよ。女の子だよ」

 もしかしたら彼女がアイリスの言っていた「助けて欲しい子」なのかもしれない。さしたる理由はないが、砥上はそう思った。それに、違っていたとしても戦意を失った相手にこれ以上手をあげるのはフェアじゃない。

「出来ねぇよ。つかお前だって痛い目みただろうが」

 互いに譲る気なしと顔を突き合わせる二人の耳に、ホールに響き渡る第三者の声が飛び込んできた。

「誰かいるのか! 返事をしろ」

 すぐさま砥上が秋山を庇うようにして声のした方を向く。

「魔界連合軍(M.W.A.F)界外管理部隊だ」
 拳銃を片手に姿をあらわしたのは、女性だった。

「錐歌」

「守人、何やってんの」

 どうやら二人は知り合いのようだ。


錐歌・オーチャードは、踏み込んだ先にいた人物を見て目を丸くした。

「ありゃま、知り合い」
 砥上はそんな彼女をじっと見る。服装から見て、どこかの組織の人間のようだ。「魔界連合軍の軍人だ。この辺りの魔界人を監視してる、保安官みたいなもんだな」
 こっそりと秋山が砥上に耳打ちした。鳥の姿の彼は恐ろしく五感が鋭敏になる。人間の姿では聞き取れないほどの小声でも、はっきりと聞こえるはずだ。

 FBIのようなものだろうか。シェザーといいアイリスといい、思った以上の魔界人が人間の中に混ざっているのにそういったいざこざが表沙汰にならないのは、ちゃんと取り締まる組織があるからなのかと、砥上は納得した。銃を持っているのもどおりだ。だが美しい赤毛をポニーテールで束ねた彼女は、秋山のことを名前で呼んだにも関わらずまだ銃をさげようとしない。


 戦意を喪失し動きを止めた銀の甲冑と怪我をした秋山、そして大きな猛禽類と、錐歌の目は忙しなく三者の間を行ったり来たりしている。

「なんか妙な魔力の動きがあると思ったら、あんた何してんの」

 構えた銃口を下げることなく、錐歌はあたりを観察するように彼らの周りを大きく、ゆっくりと動いた。とはいえはっきりと狙っているわけではない。この奇妙な取り合わせの中で新たな動きがあった場合の保険として、いつでも使えるように用意しているだけだ。

 銀の甲冑には人の気配が無かった。つまり無人で動いている。だが魔導式である特徴がない。女性的な細身のフォルムに秋山の手にしたハルバードを見て上層部からの捜索司令を思い出す。

 チラリと秋山を見た。

 トレードマークの眼鏡が外れ、薄紫の瞳に赤が掛かっている。
「それ、顕在化した魔名ね。あんたも使ったの?」
  ”エルザス”を顎で示した。


「少しな」
 というより、正確には使い損ねたのだが。
「それにすごい怪我してる。何があったの」
 答えずに秋山は横を向いている。答えたくないのだ。

 少し目を転じて状況を見る。

 足元の床の大きな魔法陣。引かれた線からは微かな血の匂いがする。錐歌が知る限り使ったことのない魔名を使ったのは、これから逃れるためだろうか。
 外の魔法陣の跡も大きかったが、内側のこれもかなり大きい。

「これはお池の巫女が嫌がるはずだわ」
「なんて言った?」
 独り言に秋山が反応した。
 規模からして、これほどの魔法陣を昨日今日で造るのは無理だ。それも魔力は強力さと大きさに比例する。場所が市内から離れているにしても、大規模で高出力の魔法を使えば錐歌達の監視組織に気づかれてしまう。だがシェザー(の魔法使い)は魔力が外に出ないよう複雑かつ強力な魔法陣を作った。だからまんまと彼は捕らわれ、自分が来るのが今になったのか。

「こっちの話。それに聴いてるのはあたしの方よ」

 秋山は抗議の意を込めて錐歌を睨み返し、彼女も見つめ返した。

 これまで特に問題も起こさずにやってきた彼がどんなトラブルに巻き込まれたのだろうか。

 やっぱり彼らは知り合いのようだ。が、両者の間に流れている空気から察するに、無条件に良好な関係とはいえないらしい。両者の間に立たされ多少の居心地の悪さを感じながらも、よせばいいのに砥上が口を開いた。

「秋山君いつもボッチだけど、以外と友達いるんだね」

 唐突な台詞に、秋山はあんぐりと口を開けた。
 一体どうしたらこんな風に呑気な人間に育つんだ?

「うわ何こいつ喋った。新種のオウム?」

 さっと銃口が向けられ、砥上は反射的に両翼を広げて見せる。
「うそ、撃たないで」

 急に巨大な翼を広げられ、錐歌は引き金に込めた力をすんでのところで止めた。

 人間の言葉を話したので仰天したが、相手はどう見てもオウムじゃない。大型の猛禽類だ。しかもサイズが尋常じゃない。巨体を支える脚は男の脹脛ほどもあり、その先端で光る鉤爪はまるで金の装飾を施された魔界の巨鳥ハルパーのようだ。さらに大きな眼は太いルチルが詰まったゴールドルチルのように光を乱反射している。

「まあ、俺の友達だ」
 重苦しい声で錐歌に答えながら、秋山は巨大鷲の翼を優しく下ろした。

「珍しいわね。完全変態体なんて」
 確かに冷静に見れば、魔界人なら変身・変態する種もいると納得がいく。
 ただし把握していない個体だがと、注意書きは付くが。

「俺変態じゃないけど」
「余計なこと喋るな」

「わかったわ」
 やっと錐歌は銃をおろした。奇妙な相手だが、あの秋山が側に置くのだ。悪人ではないのだろう。
「後でじっくりと聴かせてもらう」
 腰のポーチから片手に収まるほどの装置を出し、”エルザス”に向ける。
「”百合の守護者”。こんな所にあったのね」
 続いて先端に針金の輪のついた釣竿のような物を取出し先端をエルザスの方に投げると、輪を通った銀色の甲冑が跡形も無く消えた。同時に秋山の手にしていたハルバードも消失し、支えを失った彼の体が力無く崩れる。

「うわ、大丈夫」
 支えようと差し出されるふわふわの翼を追い払う。

「俺に構うな」
 仕方がないのだ。魔力を失い、なけなしのシェザーの血の効果も消えてしまった。
 その証拠に、オリヴィエッタの魔法がスパークした後には蝙蝠状の翼も消滅し、吸血鬼の特徴も消えてしまった。

 やがて錐歌の手の中の装置が小さな音をたて、キラキラと輝くカードを排出した。
「コレは私が預かっておくわ」

「すげ、MC(モンスターカード)みたい」

 やたらと珍しがるけど、人間界生まれなのかしらと、人間界の子供の間で流行っているカードゲームを引き合いに無邪気に驚く犬鷲の声を背中で聞きながら、錐歌は床に転がる魔界人の死体を見た。

 酷い怪我をした胴体と、そこから離れた頭部。顔には見覚えがあった。
 この事件、厄介なものになりそうだ。

「先に現場を調べるから、あんたは部屋に帰ってて」

 振り返り、瀕死の秋山に声を掛け、続いて砥上に視線を合わせる。「お友達に送ってもらうといいわ」


 彼女は、まるでただの人間だ。声をかけられ、砥上は錐歌と目を合わせた。
 これまで会った魔界人は、なんとなく同じ『感じ』がしてた。魔界人でいるときの秋山もそうだ。けれどこの彼女は、魔界人でないときの秋山ーつまり会社にいる時の秋山と同じように、何も感じない。
「あの、俺、秋山君ち知らないんだけど」

「いい。一人で帰れる」
 砥上の身体に掴まり秋山が立ち上がる。が、すぐにバランスを崩して前に倒れ手を突いてしまった。

 こんな姿を二人に見られるなんて。
 情けなくて顔も上げられない。


「無理よ守人、ほとんど魔力も無いじゃない」
 助け起こそうとした錐歌が、砥上の首元のペンダントに気づいた。
 簡単な魔法を記憶させて条件によって自動的に発動させるマジック・デバイスだ。
「動かないで」
 胸ポケットに入れたスマホを手にすると、伸ばしたUSBをペンダントの下部に差し込む。

「錐歌、てめぇ何してやがる」

 体に力が入らないためほとんど匍匐前進に近い形で擦り寄ると、秋山はやめさせようと錐歌に手を伸ばした。
「守人の部屋に飛ぶようにするの」それに対し彼女は逃げ回りつつジャンププログラムを書き込む。「タイミングはそちらで」

「そいつは魔力を持ってねぇ」
「嘘でしょ」

 パッと顔をスマホから上げて砥上を見た。
 魔力もない人間がどうして鳥になっているのだろうか。

「ほんと。それに、一度市立体育館に寄ってもらえれば車で運べる」

 だが疑問を解明するのは後だ。魔法が使えないのなら、プログラムをもう一つ追加しなければならない。
「自動設定にした。体育館で10分のブランクの後、ナビ機能に変わるから車で移動して」
 作業が終わると、秋山の身体を無理矢理砥上の背中に乗せる。
 痩せ型とはいえ、身長が180センチ以上ある秋山の身体を持ち上げるとはかなりの力持ちだ。

「俺の住所、誰に聞いた」

 現状の自分の非力さを思い知ってか、秋山は抵抗の言葉を吐くのをやめた。

「お姉さんよ」

 その代わり、思い浮かぶ限りの悪態を心の中で突いてやった。声に出せればなお良かったのだが、残念ながらプログラムが作動し視界がボヤけ始めた。


 ものすごく嫌そうな顔をした秋山がジャンプ・トンネルの光に包まれたのを見送り、錐歌は改めて自分が踏み込んだ現場を見た。

 市街から離れているとはいえ無人地帯ではないし、敷地が面している道路は甲洲に抜ける主要道路だ。廃墟となった観光施設の屋根が吹っ飛んだとなれば、すでに誰かが警察に通報しているだろう。勿論、建物に入る時に時間経過を鈍らせる手は打った。だが有効な時間は限られている。

 それまでにできる限りの捜査をし、証拠を集めなければ。

 秋山が大金持ちの道楽息子を殺していない証拠を。

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