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ありがとう。そしてさようなら。

3月。色々な出会いや別れがある季節。
個人自営業者な私にはあまり関係のない話。
仕事そのものも一人でやっているので誰かが入ってくるとか去っていくなどもない生活を5年ほどやっていました。

そんな中。最近、別れを経験する事がありました。
それは「過去の自分」との別れ。
具体的に言えば小さい時の「愛されたいと」と思っていた子供の自分。
彼に感謝とさよなら言える事がありました。

事の始まりから話すととんでもない量になってしまうので、簡潔に言えば先日、実母から朝から電話があり、内容はこれまた簡潔に言えば「いかに自分が不幸で辛い思いをしているか」とう「特定の他者への罵詈、雑言」
たまたま私は体調も悪く休んでいたところ、こちらの状況は一切構わず、吐き続ける実母。
これに私も流石に辛くなり。
「ちょっとこっちの事も考えてくれ」と言えば。
「もういい」で電話を一方的に切られる。
何かこの時、自分の中の何かも一緒に切れたのがわかりました。
その時は「あっ。もういいや。めんどくさい」っていう感じだったのですが、確実に何かが切れたなと。

そしてそれがなんだったのかがはっきりわかたったのがその日の夜。
奥さんが何気なくスマホで動画を見ていた時。
「うわー懐かしー」っとピクミンというゲームソフトの最初のテーマソングを流していて。
その曲を何にしなく耳に傾けていた私。
急にポロポロ涙が出てきて驚いてしまった。

「引っこ抜かれて〜🎵 あなただけについて行く〜🎵」
という出だし。
自分も懐かしいな、と感じながらそのまま聞いていた。


「ほったかされて、また会って、投げられて
でも私たちあなたに従い尽くします

そろそろ遊んじゃおうかな
そっと出かけてみようかなーんて

引っこ抜かれて、集まって、飛ばされて
でも私たち愛してくれとは言わないよ

力合わせて、戦って、食べられて
でも私たちあなたに従い尽くします

立ち向かってって、黙って、ついてって
でも私たち愛してくれとは言わないよ」

一部飛び飛びですが、この歌詞を聞いた時に涙が自然とポロポロと出てきてしまっていた。

そして

「あっ。自分はずっと長い間、母を大きな存在、自分の何か中心の存在として見ていて、その母から見ていい息子をずっと演じていたんだな。常に母の機嫌などを伺い、自分の言いたい事も言えず、ただただそうすれば認めてもらえる、愛してもらえると。いつかの小さい時に自分が抱いた気持ち。これだったんだな」と。

でも、もうこの気持ち、考えとはさよならの時なんだなと。
電話の対応がどうのこうのではなく、ずっと自分はこの状態が辛くて嫌で、
でも、それがいつの間にか記憶の奥のどこかに入ってしまっていて。ただただ何か「怖い」という感情だけが出ていて。知らないうちにそれから避けていたんだと。

それが、出てきてくれた。
その自分へありがとう。そしてもう大丈夫だからね。と手を離したんだなと。

精神世界の話になってしまうと言語化するのが上手く書き出せない感じで。
そして書き出してみても文字の並びだけで見るとそれほど大きな出来事とは思わない人も多いと思います。
ただ今回の事は自分の中でも本当に大きな出来事だったので書き留めて何かそれを出したいと思い今回はこうやって発信をしました。

この週間続けていこう。

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