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夜の霧と少年

 去年の夏、私は一人で旅に出た。普段は都心の喧騒の中で過ごしているが、時折、静かな場所でのんびりと過ごすことが好きだった。その日は特に暑く、涼しい山間の村を目指していた。

 村に着くと、そこはまるで時が止まったかのような静寂に包まれていた。古びた木造の家々と、澄んだ小川の音が心地よい。私はカメラを手に、村を散策し始めた。

 ふと、古びた神社の前で足を止めた。鳥居をくぐり、苔むした石段を登ると、境内には一体の石像があった。その石像は、鬼のような形相をしており、まるで生きているかのような迫力を持っていた。

「これは……魑魅魍魎かしら……」

 私はそう呟きながら、石像の前でシャッターを切った。その瞬間、背後から冷たい風が吹き抜けた。振り向くと、そこには誰もいなかった。

 不思議な感覚に包まれながら、私は宿へと戻った。夜になると、村はさらに静まり返り、月明かりだけが淡く村を照らしていた。眠れないまま、私は再びカメラを持ち出し、夜の村を散策することにした。

 すると、神社の方からかすかな光が見えた。不思議に思い、足を運んでみると、石像の前で小さな少年が立っていた。彼は私に気づくと、微笑んで手を振ってきた。

「お姉さん、僕と一緒に来て」

 少年が差し出したその手を取ると、彼は神社の奥へと導いてくれた。そこには、見たこともない異界の入口なのか、霧が広がっていた。その霧をくぐり抜けると霧が透き通りはじめ、幻想的な光景が広がりだした。

「ここは……?」

「ここは魑魅魍魎の世界。僕はその門番なんだ」

 少年の言葉に驚きつつも、私はその世界の美しさに心を奪われた。妖怪たちが静かに舞い踊り、鬼たちが談笑している光景は、まるで絵本の中の世界のようだった。

 突然、少年は私に向かって言った。

「お姉さん、ここで見たことは誰にも話さないでね。これは僕たちの秘密だから」

 私は頷いた。すると霧に囲まれはじめ、いつの間にか異界を後にしていた。再び現実の世界に戻ると、そこには何事もなかったかのような静寂が広がっていた。

 翌朝、村を出発する準備をしていると、宿の主人が話しかけてきた。

「昨晩、神社の方で何か見かけませんでしたか? あそこは昔から妖怪の伝説があるんですよ。」

 私は微笑んで答えた。

「いいえ、何も見ませんでした。ただ、素敵な夜でした」

 そう言って村を後にしたが、あの異界での体験は私の心に深く刻まれ、忘れることなどできないだろう。そして、これからもその秘密を守り続けることを密かに誓った。

 自宅に戻り私はあの夜のことを思い出すたびに、不思議な感覚に包まれる。魑魅魍魎の世界での経験は、私にとって特別なものとなり、新たな決意を胸に秘めて生きる力となったのだ。

 そして、再び旅に出る日を心待ちにしている自分がいる。次はどんな不思議な出会いが待っているのだろうか。

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