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蜘蛛男と最後の糸

 去年の秋、あの時の記憶がまだ鮮明に残っている。私は旅先で訪れた公園の芝生に座っていた。私が物心つく頃に母が亡くなり、父と二人暮らしだった私は、普段の都心の喧騒から逃れ、しばしの静寂を楽しむために一人旅でここに来たのだ。秋の風が心地よく、読書に没頭するにはうってつけの場所だった。

 その日も、いつものようにミステリー小説を手にしていた。主人公が追う謎の人物に、自分を重ね合わせるのが好きだった。だが、その日は何かが違った。ふと視線を上げると、芝生の上に奇妙な足跡が点々と続いていることに気づいた。足跡は途切れ途切れに続き、まるで何か大きな蜘蛛が歩いたかのような形をしていた。

 好奇心が私を動かした。足跡を追いかけ、公園の奥へと進んでいくと、突然視界に飛び込んできたのは、奇妙な男の姿だった。彼は背が高く、やけに細長い体つきをしていた。まるで蜘蛛の足のような細長い手足を持ち、何かを探しているかのように公園の隅々を歩き回っていた。

「君もここに何かを探しに来たのかい?」

 突然、男の声が私に向けられた。私は驚いて後ずさったが、その声にはどこか親しみを感じた。男は笑みを浮かべ、近づいてきた。

「私はここであるものを待っているんだ。君も一緒に待つかい?」

 彼の言葉に引き込まれるように、私はその場に立ち尽くした。彼の話によると、この公園にはかつて不思議な糸が存在し、その糸を辿るとどんな願いも叶うという伝説があったのだという。彼はその糸を探していたのだ。

「君の願いは何だい?」

 突然の問いかけに、私は答えに詰まった。願いなんて考えたこともなかった。ただ、日常の謎を解き明かすことに興味があっただけだ。だが、彼の瞳の奥にある真剣な光を見た瞬間、私の心に何かが芽生えた。

「私の願いは……もっと多くの謎を解き明かしたい」

 男は微笑み、手を差し伸べた。

「なら、君もその糸を探す手伝いをしてくれないか?」

 私は彼の手を取った。彼と共に公園を歩き回り、糸の手がかりを探し始めた。細い糸のような痕跡が、芝生の上に点々と続いているのを見つけた時、心臓が高鳴った。

「これがその糸かもしれない」

 男は静かに頷き、私たちはその糸を辿り始めた。糸は公園の奥深くへと続き、やがて一つの古びたベンチの下で途切れた。その瞬間、男の姿が突然消えた。驚いた私は周囲を見回したが、彼の姿はどこにもなかった。

 その時、ベンチの下に小さな箱があるのを見つけた。箱を開けると、中には古い写真と一枚の手紙が入っていた。手紙にはこう書かれていた。

「願いを持つ者よ、この糸を辿った者だけが知る真実がここにある。君の願いは叶うが、その代償として何かを失うだろう」

 私は写真を見た。そこには若い頃の私の母と、あの男が写っていた。母の隣にいる男は、あの蜘蛛男にそっくりだった。突然、全てが繋がった。あの男は、母の願いを叶えるために現れた存在だったのだ。

 手紙の最後にはこう書かれていた。

「君の母も、かつてこの公園で同じ糸を辿った。そして、君が生まれることを願った」

 母が亡くなった驚愕の理由を知った私は、その場に力なく座り込んだ。全てが理解できた時、心に一つの決意が生まれた。私はこの糸の持つ力を使って、多くの人のためにもっと多くの謎を解き明かす決意をしたのだ。

 そして、公園を後にした私は、新たな冒険の始まりを感じていた。蜘蛛男の影は、もう二度と現れることはなかったが、その糸が繋いだ奇跡の力は、私の中に確かに存在していた。

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