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雨の痕跡

 今年の雨は特別だった。

 旅先の街を歩いていると、ふいにバス停の前を通りかかった。あいにくの雨、傘を持たなかった私は、濡れながらも気にせず歩いていた。バス停には古びた木のベンチがあり、そこに奇妙なファイルが置かれていた。誰のものか分からないが、そのファイルは私を引き寄せるように佇んでいた。

 ファイルを手に取ると、濡れているにもかかわらず、中の書類はまるで雨を弾くかのように乾いていた。中を覗くと、奇妙な写真や文章がびっしりと詰め込まれていた。ページをめくるごとに、目の前の景色が歪んでいくような感覚に襲われた。

 その写真には、私が一度も訪れたことのない場所や見たこともない人物が写っていた。だが、どうしてか、その場面や人々に強烈な既視感を覚えた。まるで夢の中で見たことがあるような、懐かしい感覚だった。

 バスが来る気配はない。私はファイルを持ったまま、雨に濡れた道を歩き始めた。雨の音がやけに大きく感じられ、まるで何かが私を呼んでいるかのようだった。そのまま歩き続けると、いつの間にか見覚えのない場所に迷い込んでいた。

 そこには、古びた洋館が立っていた。雨に煙るその姿は、まるでこの世のものではないように見えた。引き寄せられるように洋館に足を踏み入れると、中には誰もいなかったが、奇妙な静けさが支配していた。

 ファイルの中の写真に写っていた部屋にたどり着いた私は、そこで再び既視感に囚われた。まるで時間が止まったかのようなその部屋には、古い家具や調度品が並んでいた。そして、その一角にある机の上に、もう一冊のファイルが置かれていた。

 そのファイルを開くと、中には私の幼少期の写真や、過去の出来事が詳細に記されていた。それらは私の記憶と一致していたが、同時にその記憶がどこか別のものに書き換えられているかのような感覚を覚えた。

 突然、背後から声が聞こえた。

「あなたは、真実を知りたいのですか?」

 振り返ると、そこには一人の老人が立っていた。その顔には、どこか私に似た面影があった。老人は静かに語り始めた。

「あなたはこの世界の秘密を知る者です。あなたが手にしたファイルは、全ての謎を解く鍵なのです。しかし、その真実はあなたにとって耐え難いものかもしれません。それでも知りたいですか?」

 私は迷いながらも、頷いた。老人は深く息をつき、再び口を開いた。

「この世界は、実はあなたが創り出したものなのです。あなたの記憶や感情が、この現実を形作っているのです。あなたはただの観察者ではなく、創造者なのです。」

 その言葉に、私は全てが崩れ去るような感覚に陥った。現実と幻想が入り混じり、自分自身の存在すら疑わしく思えた。

 老人は続けた。

「あなたが今手にしているファイル。それは、あなたがこれから創り出す未来の断片です。あなたが何を選ぶかで、この世界は変わっていくのです」

 私はその場で立ち尽くした。雨の音が再び大きく響き渡り、現実が再び歪んでいくのを感じた。

「さあ、選びなさい」

 老人の声が遠ざかっていく。

 目が覚めると、私はバス停に立っていた。手にはファイルが握られていたが、中身は白紙だった。まるで夢の中の出来事のようだったが、現実の感覚は確かに残っていた。

 その後、私は旅先の街を離れ、日常に戻った。しかし、あの雨の日の出来事は、私の心に深い痕跡を残した。私は決意した。これからの未来を、自分自身の手で切り拓いていくことを。

 そして、私は再びバス停に向かう。あの日と同じ雨の中、私は新たなファイルを手に取る準備をしていた。未来の扉を開く、その瞬間を待ちながら。

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