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図書館に行った

区の中央図書館に行ってきた。亡くなった友人の著書が所蔵されているかどうかを調べたかったからだ。

もちろんネットでも図書館の蔵書はある程度は分かるが、館内の資料検索システムを使えばまた違う結果に出会えるかもしれないと期待して。

果たして、私も持っている友人単著の翻訳書以外に2冊の共著が見つかり、あらためて驚いた次第だ。1冊は東京大学出版会から出ているもので、もう1冊は中央公論社からの刊であった。

前者は陶芸作品に関するものであり、ページ数は10ページにも満たないが、ちょっと閲覧してみると相当に専門性の高い内容だった。10ページ程度なら、机を借りて読んでしまうこともできたのだけれど、なんだかそうしてしまうには惜しく感じられ、少しだけ目を通して、書架に戻してきた。

訃報を知って以来、幾度となくネットで故人に関する情報を検索していても、まだ知らない共著のことがあったのだと思うと、なんとも言えない気分になる。たぶん共著の2冊は古本で探して買うことになるだろう。

それにしても守備範囲の広い人だったと舌を巻く。核心は、比較文学、比較文化、アメリカ文学、ネイチャーライティング、美学の人だとは承知しているのだが、陶芸のジャンルまで深くカバーしているとは思わなかった。誰か門下の人にでも、この人の仕事を総体的にまとめてくれる人がいればと思わざるを得ない。この人の生きた証が、仕事の成果が、記録として残って欲しい。

図書館に出掛けたついでに、自分の著書も検索してみたら、何冊かは所蔵があった。今の図書館では昔のように一冊一冊に借りた経歴が書き込まれるようなカードも付属してはいないので、自分の本が読まれているのかどうか、さっぱりわからない。

私が鬼籍に入った時も、私の著作を図書館で調べてくれるような人が出てくるかは相当に疑問ではある。私には門下生も弟子もいない。少数の奇特な読者の方々がいてくれるだけだ。

図書館に並んでいる本のかなりの部分は、すでに著者が物故者になった本であろう。そう思うと静かな図書館の空気も、どこか切ない。

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