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春はどこから

三寒四温という言葉の如く。行きつ戻りつ、冬から春への変化が進んでいる。不穏な世相と関係があるのかないのか、早足でやってきたとされる春にはどこか躊躇しているようなニュアンスがある。

われわれの多くは円環的時間感覚の中を生きているから、春が来ると季節のタイムラインが円周上を一周したような気分になる。節目が暦と少々異なるのは、意識のどこかに「春」に対する本質的な認識があるからだろう。

わが国ではとりわけその感覚が強いような気がする。四季がはっきりしている国だからということはもちろん大きいが、自然の変化と集合的無意識とのつながりが特別に強固だからではないかという気もする。

われわれが時間を円環的に認識するのは、12時間で一周する「時計」が最も具体的な例だ。これは同時に、12進法のコードが意識の中に浸透している例でもある。

しかし、一年をかけて一周する四季、あるいは12か月の円環は、それよりもはるかにずっと巨大で、そして非物質的であり、その分だけ、心魂への浸透度も、より強くより深いように思われる。

高度経済成長期の終わり頃に全国各地にたくさん作られた観光花壇、あるいはフラワーパークのようなものには、一年で、その時期咲いている花が一周するという花時計があったらしいが、四季の変化が明瞭な国土にあっては、自然全体が円環的な花時計を演じていると言えないこともないだろう。

なお、わが国では春分点を祝日としているが、こういう天文学的な日付をナショナル・ホリディとするのは、世界的に見ても珍しいことであるらしい。

どうかこの春がポジティブな方向に向かうものであってほしい。

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