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船溜まり小景(掌編小説)

 かつてその船溜まりには小さな桟橋があった。港を囲む半島の対岸へと通じる航路があり、半島の先端に近いM町に住んでいる人々は、港の中心部に隣接した繁華街に出かけるときは、よくそこから汽船に乗った。

 造船所の羽振りの良かった時代が終わる頃、航路は短縮されて、M船溜まりにあった桟橋もなくなった。汽船で対岸に渡りたければ、隣のT町にある桟橋まで歩くか、汽船でなければ本数の少ないS港線の列車を待つか、鉄道同様遠回りにはなるが、本数は多いバスを使うほかなくなった。

 少年が物心つく頃には船溜まりは汽船乗り場としての機能を失い、M造船の船台や船渠(ドック)、艤装岸壁の一角を成すほか、小さな漁船が係船されたり、スロープに引き上げられたりしている風景で埋まるようになった。造船場に近いところでは油の匂い、船溜まりを港と仕切る堤防のあたりでは、魚粉工場の匂いがした。
 
 少年はその船溜まりから歩いて五分ほど、路地を入ったところにある二軒長屋で幼少期を送った。少年が小学校に上がってまもなく、一家は数キロほど南西に行った砂地の土地に家を建てて、そこに引っ越した。新しい家は外海に近かったので、穏やかな内海を眺める機会も減った。
 
 再び少年がM船溜まりを訪れるようになったのは、小学校も高学年になり、釣りを覚えるようになってからだった。釣りといっても、ろくに道具はなく、最初の頃は、道糸と浮きと錘と針だけの仕掛けで遊んでいた。岸壁や内海の堤防からは、竿のないそんな仕掛けでも釣れることがあった。
 
 その日も少年はМ船溜まりに出かけたが、思ったように釣ることはできなかった。帰りがけに、船溜まりのいちばん奥、かつて汽船桟橋があった辺りに立ち寄ってみた。少年はまだ11歳ぐらいに過ぎなかったが、どこかに昔日を楽しむような気分があった。

 数年で風景が大きく変わる時代でもあった。M町の外海など、少年が学校にあがる前は堤防もなく、丸い石を集めて針金の網で束ねたようなものが並んでいたのに、ほどなくして高さが10メートル近いような防波堤が連なるようになった。

 岸壁というほどの高さもない、寝転んで手を伸ばせば簡単に水面が届きそうな護岸から、少年は海中を覗き込んだ。満潮の時間帯らしく、潮が引いたときには雑駁な具合の波打ち際も、今はねっとりとした海水に沈んでいた。

 深さは少年の腰ぐらいまであろうかと思われた。底には、貝殻の破片や、錆びた金属や、フジツボが生えたような小さな岩などが敷き詰められている。爪よりも小さい幼魚の群れが海水の動きとともにたゆたうのをしばらく見ているうちに、もっと大きな黒い影がいくつも寄ってくるのを見てはっとなった。

 影は地元でクシロと呼ばれるメジナの幼魚だった。手のひらぐらいの大きさだったが、少年の心臓を高鳴らせるには充分で、彼はなんとか釣り上げられないかと思った。しかしアサリの餌はもう使い果たしていた。

「餌さえあれば簡単に釣れるんだけどなあ」と彼は呟いた。その声を聞きつけたのかどうか、同じくらいの年恰好の少年が近づいてきて、何かいるのかい、というように訊いた。
「クシロが、ほら」と少年は海中を指さした。地元の子は、「ほんとだ」と言った。
「餌がないんだ、何かあればなあ、きっと釣れる」と少年はいかにも悔しいという気分で言った。

 二人はしばらくクシロの動きに見入った。十数匹はいるような感じだった。それが、弧を描くように目の前の海中でゆっくりと泳ぎ回っている。胸びれの動きがはっきりと見えた。それが余計に少年の胸を締め付けた。あの中の一匹でも釣り上げることができたら、どんなにかいいだろう。

「俺、なんか餌をとってくる」と不意に地元の子は言った。「俺んち、そこだから」
 
 地元の子の行き先を見ていると、街道筋に面した寿司屋だった。彼は寿司屋の息子だったのだ。

 餌が来るとわかって、少年は糸巻きから仕掛けをほどき、準備をした。そのあいだもクシロのことが気になって仕方がなかった。

 ほどなくして地元の子が戻ってきた。その手の中には、寿司ネタの海老、茹でて開いたものが二切れほどあった。少年はその餌に驚き、寿司屋の息子というのは凄いものだと素直に感心した。「これ使っていいよ」と地元の子は言った。

 餌が来た。手に入った。これで釣れる。きっと釣れる。少年は息せききって、小さな針にちぎった海老を付けた。その手元を地元の子も見ていた。

 少年は胸を高鳴らせながら、仕掛けを海面に落とした。そこに、しかし、クシロの影はもはや見当たらなかった。上から見ると黒い紡錘形の魚影は、すっかり消えていた。無数の貝殻や沈んだゴミが並んだ底だけが、はっきりと見えた。

 少し岸から離れたのかもしれない、待っていれば、また戻ってくるだろう、そう少年は思ってしばらく仕掛けを見ていた。浮きを付ける意味はあまりなかったが、その下で道糸が錘のところまで真っ直ぐに伸びていた。

 いつまでたっても、目当ての魚は戻ってこなかった。少年といっしょに仕掛けを覗き込んでいた地元の子も、じきに飽きて、どこかへ行ってしまった。やがて少年も諦めて、仕掛けを糸巻きに戻し、船溜まりから自転車で離れた。

 魚が集まっていたのは、ほんの10分か15分くらいのことだったような気がした。潮のせいか何かで、またどこかへ行ってしまったのかもしれない。少年は、魚や魚釣りというものの持つ時宜について、痛切な体験をしたように思った。ほんのわずかな時間の差で、絶好な機会を逃すことがあるのだなということを知った。

 少年は長いこと、このエピソードを、釣りや魚の行動の中に表出するある種神秘的なまでのタイミングや自然の持つ呼吸についての教訓のように記憶していたが、半ば無意識的に、生きることはそういう摂理を知ってゆくことだという風にも理解した。

 教科書や文献に同じことが書かれていたとしても、実地で見聞きしたこととはまるで異なるのだということを後年になって彼は知った。釣りや野外遊びは、ただ遊んで終わるだけのことではなく、世界が時折見せてくれる一種の奇跡を見出すことでもあるのを知った。

 そうやって記憶を反芻していると、今ではどこかへ消えてしまった寿司屋と、その息子のことも思い返される。そしてそのときには決まって思う。あの子は、親にことわって寿司ねたの海老を分けてもらってきたのか、それとも冷蔵庫の中から、黙ってそっと持ってきたのかと。

                               (了)

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