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師走の車中泊旅

12月17日(日)の15時過ぎに家を出て、買い物等の用事をしてから、一路国道1号を東に向かった。助手席の相棒はかみさん。車中泊の旅に出掛けるのは2カ月ぶりくらいだ。

沼津の手前まではスムーズに流れていたが、市街地が近づくにつれ、渋滞気味になり、ノロノロと進む。時間はじきに17時を回る。

今から20年あまり前、自転車の仕事の関係で沼津や大仁(おおひと)にさんざん通った。今日はその大仁が目的地。

三島市街地に入り、途中から国道136号に折れて南下開始。この辺りに来るのも久しぶりだ。次いで韮山に至る。韮山を通るのは11年ぶりぐらいである。

大仁に着いたのは18時半を回った頃だった。目当ての食堂、「たけ」の駐車場に車を入れ、いそいそと店に向かう。扉を開けたのは実に20年ぶりくらいのことである。

伊豆新世紀創造祭における大仁町(当時)のサイクリング事業に自分は携わっていて、何度も何度も大仁に足を運んで、この「たけ」のご主人に世話になったのであった。

亡くなられたと聞いて驚くとともに、店はまだ奥様が引き継いでやっておられると聞き、いてもたってもいられなくなって、訪れてみたのだ。

店内に入ってほっとする。かみさんもここに来たことがあるが、店内の記憶はあまりないようだ。二人で一緒に「海鮮カツ玉丼」を注文する。

マグロ、ブリ、イカ、エビなどをフライにして卵とじにした大仁は「たけ」の海鮮カツ玉丼。味噌汁も旨かった。

腹を空かしてきた甲斐があるというべきか、久しぶりに食した「たけ」の丼には大満足であった。

勘定を済ませてから、手土産に持ってきた追分羊羹を「仏さんに」と言ってお渡しする。聞けば、ご主人は昨年の11月に亡くなったばかりらしい。遠慮される奥様に、生前のご主人にずいぶんと世話になったことを申し上げた。

「たけ」を辞してからは、コンビニに立ち寄り、それから今日の停泊地である道の駅「伊豆のへそ」に向かう。着いてみると、以前「伊豆洋らんパーク」であったところは、確かに道の駅に様変わりしていた。

やや奥のほうの、暗くないところに駐車して、一休みする。facebookのメッセンジャーを使って、facebookでつながっている大仁のO氏に「今道の駅におります」と連絡する。突然のことなので、来てくださるかどうかわからない。

ややあって、「明日の朝に行きます」とのご連絡あり。時刻はもう20時を回っているので、無理もない。O氏にも、伊豆新世紀創造祭のときにはずいぶんとお世話になったのである。創造祭の終了後はお会いした記憶がないので、20数年ぶりの再会ということになる。

少し早いが、いつまでもアイドリングでヒーターを効かせておくわけにもいかないので、そそくさと就寝準備を開始する。まずは車の窓ガラスすべてに、断熱材と目隠しを兼ねたカバーを内側から吸盤で貼ってゆく。カーテンがある窓は、その上からカーテンを閉める。

それから寝る支度。トイレに行き、歯磨きをして、車内に戻ったら、身支度をする。身支度が終わったら、上下に分かれる。かみさんは2階の寝台、私は1階の2列目シートと3列目シートを接続させて寝る。

それぞれに寝袋と毛布を展開する。もちろん冬用の封筒型寝袋を使っているが、それだけでは寒いので、毛布も併用する。2階の窓のところは窓を閉めていてもスースーするため、手製のカバーを付けておく。

なんだかんだで消灯になったのは23時前くらい。小型キャンピングカーの空間は限られるので、いろいろと支度に手間取るのであった。

車内はすでに冷え始めているので、私はフリースを着込み、かみさんはホッカイロの封を切った。

さて、消灯したはいいが、数十mほど離れたところに駐車している大型トラックのアイドリングが気になる。排気がこっちのほうに流れてこなければいいが。と思っていたら、そのうちに止んだ。出て行ったらしい。

一度目が覚めたのは明け方5時頃。二人ともトイレに行きたくなっていたので、外に出る。寝るときはもちろん着替えているが、トイレなどに立つことを考えて、キャンプ用のパンツなどを履いている。

起床したのは12月18日(月)の7時頃だが、またしてもトラックのアイドリングが気になる。外に出たら目の前に大型トラックが止まっていた。自分の車を動かせばいいのではと思われるかもしれないが、窓にカバーを貼り付けてあるので、そうそう簡単に移動はできないのだ。仕方なく我慢。外の駐車場でトラックの排気ガスで中毒になったというような話は聞いたことがないので、まあ大丈夫だろうとふんだ。

今度は起きる支度である。寝袋と毛布と畳み、下着を換え、キャンプパンツをジーンズに履き替える。シャツも着替える。

二人とも身支度が済んだところで、窓のカバーを外す。外すだけならいいが、これを海苔巻き状に巻き込んで後片付けをしなければならない。これがけっこう手間なのだ。春夏はカーテンだけでいいので、カバーを付けるのはフロントガラスと助手席と運転席の窓だけでいいのだが、冬は全ての窓にカバーしなければならないので、手間がかかるのである。

そうやって片付けをしているうちに、O氏から電話連絡があり、もう道の駅に来ているよとのことで外に出る。かみさんも外に出てご挨拶する。本当に20数年ぶりなのだ。懐かしい。あのときはお世話になりましたと深々とご挨拶させていただいた。

手土産の追分羊羹をお渡ししたら、せんだってO氏がfacebookに製造過程をアップされていた切干芋をくださった。ありがたく頂戴する。大好物なのである。

お忙しい中、わざわざ道の駅まで車で来てくださったO氏とまたの再会を約し、出発されるのをお見送りした。

それから朝食である。近くにあるモスバーガーに車で行こうとしたが、まだやっていなかったので、マクドナルドにする。ソーセージマフィンと飲み物にした。食後また道の駅に戻り、農産物直売店で買い物をする。

さて出発だ。今度は国道136号を北上する。当初は朝霧高原でも回って帰ろうかなと思ってもいたが、伊豆北部まで来たので、かみさんの実家のある神奈川まで足を伸ばすことにした。

国道136号が国道1号に合流する交差点もそのまま直進して北上し、日大国際関係学部の前を通過し、やがて裾野で国道246号に入る。

御殿場から東名に入り、かみさんの実家に着いたのは13時頃。実家の手前でふだんなかなか買えないベーカリーがやっているのに気づき、ここに立ち寄って昼食を仕入れた。

2月以来おじゃましていなかったかみさんの実家でだいぶゆるんでしまったが、マンション敷地内の公園で軽くバードウォッチングをして、カワラヒワなどを見た。

18時にかみさんの実家を出発、東名、新東名と走り続けて20時頃に清水に舞い戻った。その足で夕食に向かう。

草薙の住宅街にある「ふじ川」食堂で、ボリューム満点のカレーライスを頼む。さすがにかみさんの分はライスを少な目にしてもらった。

野菜ごろごろの家庭的カレーライスだが、煮込み過ぎていないところが良かった。ライスが見えないくらいルーがたっぷり。大満足であった。

というわけで、家に帰り着いたのは21時頃。1泊2日の旅に過ぎなかったわけだが、積み込んだ荷物がけっこうあるので、それを下ろすのにけっこう手間取った。

本当はその日のうちに車を車庫にしまいこんでしまいたかったのであるが、疲れていてベッドにちょっと横になっていたら、そのまま眠り込んでしまった。よって、車を車庫に入れたのは、今日12月19日の昼前であった。

今回は寝袋のほかに毛布を重ねて使うことで、耐寒的にけっこう役立つことが分かった。もちろん、寝るときにもフリースなどは着込んでいる。車内の温度を測っておけば良かったかなと今頃になって思っている。

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