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雪について

雪というものがほとんど降らない土地で育った。雪国の人からすると信じられないようなことだろうが、「雪見(ゆきみ)」というような言葉、一種の方言があり、積雪のあるところに行ってそれをレジャーとして見てくるようなことをそう言っていた。

日常空間の中で積もるほどの雪を見たというのは、大学時代にアパート暮らしをしていた国立(くにたち)で初めて経験した。深夜、行きつけのカフェの窓際の席で飽くことなく降りしきる雪を見ていて、笑われた。

その雪が溶けて道路が歩きにくくなり、雪が降る世界の実情をほんのちょっとだけ知った。アパートにも共同風呂はあったが、残雪の中、あったまりに風呂屋に行ったことをよく覚えている。

当時住んでいた4畳半のアパートは、窓も木枠で、暖房器具といったら電気コタツだけ。少しだけ窓を開けて、白いものが落ちてくるのを凝視していた。まず先に土や屋根の一部などから白くなるのだということを知った。

雪下ろしをしなければならないような豪雪地帯ではそんなことを言っていられないのは百も承知だが、雪が降らない世界の住人にとって、これほど美しく、また想像力を掻き立てられる気象現象もない。奇跡的と言っていいくらい、雪には独特の喚起力がある。

もう十数年前のことになるが、ブラジルの従弟が来日したとき、ドライブ途中、早春の南信州でしぐれた時があり、初めて雪というものを見た彼はそれこそ子どもみたいに狂喜した。そういうものなのである。南半球のブラジルでも南の高緯度地方に行けば降雪はあるらしいのだが、実際に見る人間は稀なのだ。

雪の夜は住宅地の風景も一変する。雪明りと言うべきなのか、道路や周囲が白くなった分だけ、夜の底が明るくなる。たいがいのものが白くなってしまうので、浄化されたようでもある。

雪は音響も変える。雪の夜、街の生活音は半ば吸い取られてしまったかのように希薄になり、静かになる。どういうわけか、その中で、1キロほど北を走る中央線の電車の音だけがいつもよりはっきりと聞こえてきたりした。

雪にはいまだに憧憬を感じずにはいられない。身動きがとれないほどの豪雪は望まないが、ひと冬に数度は積雪があるようなところに一度は住んでみたいものだと今でも思っている。

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