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白鳥和也の紀行文集

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主に自転車旅の紀行文集です。ガイド的内容ではなく、紀行的文学と思っていただいたほうが良さそうですな。一部は有料化する予定。
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#旅とわたし

瀬戸内の翡翠色について

画像はしまなみ海道の大島で撮影した。自転車のハイウェイ(注:ここでは高速道という意味では…

前橋から銚子への遠回り(最終回)

 宿は外川の港に面した斜面にあり、漁港の朝は早い。起き出してから散歩したような記憶がある…

前橋から銚子への遠回り(その5/砂の道を行く)

 現在は「鹿嶋市」と表記される鹿島は、当時は「鹿島町」であった。静岡県からほとんど出たこ…

前橋から銚子への遠回り(その4/鹿島台地の道)

 翌朝、朝食を案内されてみれば、母屋のほうでかなり広い和室の貸切り、さわらか何かの照り焼…

前橋から銚子への遠回り(その3/思川駅に寄る)

 その駅の名は「思川(おもいがわ)」と言う。地図で見ると、両毛線が栃木市街地につまみ上げ…

前橋から銚子への遠回り(その2/栃木県に入る)

 このときの旅の主眼は、だだっ広い関東平野の辺縁を時計周りで辿ってみたいということであっ…

前橋から銚子への遠回り(その1/前橋まで輪行)

 茅ヶ崎から当時、未電化だろうと思い込んでいた相模線に乗り換えたら、いつのまにか電化されていて、ちょっと拍子抜けだった。学生時代の一九八〇年代前半に、茅ヶ崎駅の東海道線車内から見た相模線ホームには、しばしばキハ(ディーゼル客車)が停まっていて、いたく良い風情だったから、いつか乗ってみたいと思っていたのだ。時刻表をよく見れば車両番号でディーゼルかどうかわかるはずなのに、首都圏に近いやや奇妙なローカル線に乗れるということで舞い上がっていたのかもしれない。  それもようやく思い出せ