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イクメンノート2016。はじめに

5年前の回想、5年も経つと、苦労は思い出になる。

知人に会い、「この前まで乳母車を引いていたのに、、」なんて言われたり、「人様の子供の成長は早いな」なんて言う月並みなコメントだったり、そんな何気ない言葉に感じることは、ただ時が経ったということだけだ。

思い出してみることにする。少しずつ。なぜなら、自分が頑張っていたということを、覚えている人はとても少ないから。

思い出すのは2016年の1月から3月の約3ヶ月間のこと。この年号に、さほど意味はないのだけれど。僕が30歳で、息子が0歳で、妻が29歳であった年。

思い出すのは、第二子を予感し、再びあの苦労をするのだけれど、できればもう少し、楽に、手際よくできないかという仕事的感覚から。

いわゆるイクメンであった時、毎日このように思っていた。「この子育てに終わりは来るのか。」「世間の男親は、皆同じような苦労を味わっているのか。」「今、同じ時間、別の世界で子育てに苦しむ同士はいないか。」

今、思い出して置いて、書き留めておき、誰かに覚えておいてもらう。

それは言わば、他人の記憶領域をあてにするということである。伏線のように、いつか役に立つとか、伏線を回収し、謎を解き明かすことができるか、そんなことはわからない。

ただ、過去にメッセージを伝えることができるなら、頑張っていた自分にお礼を言いたい。このイクメンノートは、過去の自分への手紙であり、また同時に未来への手紙、そして世界を異にして頑張っているお父さん、お母さんへのエールでもある。

覚えているのは、私しかいない。当事者である5歳の息子に聞いても覚えているはずもない。最近やっと「ここ来たことある」とか、「この道の先にね、、」とか話すようになり、これは、1、2年前の過去の自分と今の自分の連続性を示唆する発言と見られる。妻は、忘却の名人だ。

長男 2015年9月生まれ 父30歳、妻29歳。

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