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インスパイア

 台風による被害、残念ながら未だに続いていますね。SNSで呼びかけることで明らかになることも多いようです。報道に関しては、積極的に自分で動いて状況を伝えようという意志を感じるのは個人のジャーナリストで、その後にその情報に大手メディアが乗っかる形、これは大分前から変わりません。
 人々が呼びかけることで少しずつでも世の中が良くなっていくことを祈りつつ、なかなか難しいことかもしれませんが、それらの声が社会のシステムに良き影響を与え改善されていくことを望みます。
 いつも当たり前にあるものがない(例えば電気とか)、それがないというのは本当に辛いことだと思います。一刻も早く復旧されることを願います。

 10月12日からの『water “composition”』に参加することになり、水についていろいろと考える日々です。
いろいろと考えていると、そのことに関することが寄ってくる、というと変ですが、その手の話が目に入るようになります。面白いなあ、と思います。

細野晴臣さんが『分福茶釜』の中で、細野さんは受身ですよね、という問いかけに「百パーセント受け見だね。水に支配されているようなところがあるからね」と答えていらっしゃいます。
「自分は水でしかないんだ。そう思い込んだことが一時期あった。水ってのは自分の意志で流れているわけじゃない」
なるほど、と思いました。当たり前と言えばそうなのですが、例えば津波というのは地震によって起こるエネルギーによって起こるわけです。
(津波を肯定しているわけではもちろんありませんが)、考えてみると『水はただ在るのみ』なんですね。
そこに何らかの示唆があるかどうかは別として、創作という意味合いで、いろいろと刺激を受けます。
 その水は高いところから低いところへ行き、やがて海に出る。そのことを指摘されると、
「海に出ちゃうんだよ。アンビエント音楽をやっていた九十年代は海にいたんだ。だから本当はそこでおしまいだったの」と細野さんはおっしゃいました。
 
 この感じは面白いな、と思いました。展示空間では、ランダム、という少し違うのですが、様々な時間軸を持った音が同時になることで音場を作るのですが、それらの音は個別には単音か、少ない構成音で作られています。そこに『海』をイメージした和音を、会場での即興演奏(書とヴァイオリンとのパフォーマンスとは別です。会場に常駐しているワキマル、つまり僕が、気分で演奏するものです。音による空間演出の一貫です) で弾くのもいいな、と思いました。考えるよりは感じる、というのが、この『water “composition”』の(僕の中での)テーマの一つと言ってもいいかもしれません。

 10月12日〜15日開催される『water “composition” 書×音』は展示・パフォーマンスのみ無料です。
https://www.water1910.com/

 10月13日のソロライブ(こちらは参加費3000円、小中高生は1000円です)オンライン予約のみで受付ております。(限定30席)
当日券に関しましては、オンライン予約の状況に応じてということになります。満席の場合はツイッターなどでお知らせいたします。

 さて、いつも何かしら作っているのですが、今回は今年の4月に作ったらしい(というのは、仕事のもの、そうでないもの、といつも何かは作っているので忘れるのです(^^;;)「Blue_190412」をアップいたします。たぶん、僕のことなのでBlueと言えば空のことだと思うのですが、覚えていないw
 パッド系の音色が延々とループするサウンドとなっています。


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