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20190602「観れちゃう」

朝方、チャンピオンズリーグの決勝戦を観た。リバプールとトッテナムのプレミア対決だったが、いきなりのPKで点が入ったのもあって、ヨーロッパの頂点を決める戦いにしては、まあまあな塩試合になった。
Twitterで友人と、ポチェッティーノが痩せた痩せてないの話をしていた時が、個人的に一番盛り上がった。

明け方の試合で塩試合となると格好の寝落ちチャンスなのだけど、なんだか最後まで観れてしまった。先制されたトッテナムが、リバプール対策としてやっていることの意志が見えて、ちゃんとハマりきるか興味が出たのもある。実際は前線に渡すとこでダメでうまくいかなかったが。ケインはあそこまで引っ張らず、フィルミーノと同じくらいか、もしくはもっと先で代えた方がよかった気もする。
けれど、お互い手の内を知り尽くした同士で、ルーカス・モウラよりケインの方が効くという判断だったのかもしれない。合う合わないとか、判断の基準はいろいろある。決勝では木偶の坊という名をほしいままにしたジョレンテが、準決勝の相手・アヤックスに対して猛威をふるっていたように。

その後、妻と妻が観なきゃいけないビデオをみた。インディーズのパニックムービーで、正直結構しょうもなかったが、既視感とかの安心感とかで、2時間観れてしまった。

チャンピオンズリーグも映画も、この「しょうもないけど続けて観れてしまう」感っていうのは初めて経験することじゃない。それで成り立ってるコンテンツもいっぱいあると思う。それを立ち上がらせてるのはテンポとか、絶妙な目的設定であったりとか、そういうやつだ。なんか続けちゃうとかいうやつも、絶妙にその気持ちを刺激してくる。

時々わからなくなる。しょうもないと思っていても、本当はめっちゃおもしろいのかもしれない。本当にしょうもないのかもしれない。おもしろいと思っているものも、本当はしょうもないのかもしれない。なんかずっと化かされてるみたいだ。

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