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「愛の不時着」から学んだ不便だから良いものと便利だから良いもの。

さて、ここ数日はというと友人に進められて軽はずみに見てしまったが最後、「愛の不時着」にどハマりしてます。徹夜して2日で全エピソードを見て、翌日から2周目。世間はもう日常に戻りつつあるのに、このままでは現実に戻れない。

韓国ドラマにほぼ興味がない自分が、なぜここまでどハマりしてしまったのか? 2周目ともあり少し余裕がでてきたので考えてみた。

たぶん、今まで興味もなかった北朝鮮の描写が素晴らしい、ということだ。

撮影はやはり韓国でしたようで、リアルではない部分もあるだろう中、脱北した人々にだいぶしっかりとした取材をしているらしく、北朝鮮の生活ってこんなかんじだろうか、と想像できる。

中でも、食べ物と人との関係を映したシーンがいくつもでてくるのだけど、何でも手に入ってしまう今の生活ではなかなか感じることができない、不便だからこそ気づける美味しさ、のシーンがたまらない。麺を製麺からしたり、コーヒー豆をかまどで煎るシーンや、貝をワラの上で直火で焼いて焼酎を入れて飲むシーンは、本当に美味しそうだ。

冬の東北の田舎町を思い出すような、自然と生活が密な関係にあり、食料が簡単には手に入らないこともあってか、人々が食べ物を本当に大切にしているのがわかる。(トップの写真は冬の会津でみた凍み餅の群)

ドラマの中にでてくる電車が10時間以上停電でしまってしまい野宿、というシーンで思い出したのが、アメリカにいた頃は電子レンジとドライヤーを同時に使ったら停電、なんてことはしょっちゅうだったし、海外に旅行をすると、前の人が使いすぎて、シャワーからお湯がでない、なんてことはよくある話だ。エレベーターに閉じ込められたこともある。

東京にいると便利すぎて生活の基礎を忘れてしまいそうだけど、北朝鮮の生活はその基礎部分からなりたっていて、後半にでてくる今の日本と近い生活(もしくはもっと進んでる?!)の韓国との対比からいろいろと気づかされる。

日本は島国とはいうものの、今の所、簡単に入ることができない国は少ない。(コロナで状況は少し変わっっているけど)国境が陸で繋がっているのに、ネットも電話も通じず、もう一生会えない、という環境があるのか、と改めて実感した。


ところで、最後のシーンで2人を結ぶきっかけになった、貧しい子供達のためにクラシック音楽を学べるという制度がちょっと気になっていた所、同じタイミングでこんな団体を見つけた。

ベネズエラで始まったプログラムらしいのだけど、日本にもこんな活動があったとは。韓国ドラマの流れから意外な所にたどり着いてしまった。

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