劇的に加工しなくていいんです 455
最近、高速道路を利用する機会が多くなっていたのだけど、「季節が逆じゃない?」なんて思うような今のタイミングで入道雲にたくさん出会っている。
高速道路から見ていると、島の海と一緒に見る空とはちょっと違って、空が広くクリアに見えたりする。
そんなだから、色々タイミングの悪いわたしでも「ちょっとスマホで撮ってみようかな」みたいな気になるのだけど。
そんなときに撮影してみて感じるのは
「目ってホントによくできてるなー」
ってこと。
つまり何が言いたいかって、スマホで撮った画像を見て
「いや、わたしの見てた空はこんなんじゃないんよなぁ…」
なんてボヤくことが多いのだ。
これが「こんなはずじゃ…」っていう場合だけじゃなくて「え…こんなだったっけ?」が入っていることがポイント。
「こんなはずじゃ…」の時は100%わたしの腕の問題なのだけど、「こんなだったっけ?」の時がまぁまぁ問題なのだ。
「こんなだったっけ?」の時の画像は、大体画面は壮大で光と影がくっきりとした劇的な陰影の景色を映してくれている。
まるでちょっとした映画のワンシーンのような…
これから感動の場面が始まる前触れのような…
こちらがあんまり欲していない荘厳さを醸して「撮れましたっ!」と映し出してくれるのだけど…
そうじゃないんです。
欲しいのはそれじゃないんです…とガックリしてしまう。
スマホで撮った画像は、一瞬前のところから動画のように動きながら「ハイ、ここで着地ね」みたいに完成の場面を映してくれるのだけど、その一瞬前のところこそ
「そう!これ!このくっきりした青空に明るい絵面!わたしが見てた空はこれ!」という画像が現れる。
そこで止まってくれたら=シャッターを切ってくれたらいいのに、なぜだかそこから急に雲はグレーになり、太陽光は「神でも降りてくるのですか?」というくらいの眩しい仕様になり、全体的に陰影が強くなって「さっきの明るい絵面よカムバーック!」と悶えずにはいられない着地になってしまうのだ。
いや…これ、頼んでないよ…これじゃない…と「なんでこうなる?」が拭えない。
その昔、デジカメが出始めの頃、その画像の「明るすぎる」画像に違和感を持たずにいられなかった。
「本当はこういう色なんだ」と聞かされても「これが本当なら目で見えてる色はなんなんだ?」と思わずにはいられなかったし、そんなだったから、写真にするときもマット加工でプリントアウトしたり、つや消しや絹目を選んだりと「光沢」が苦手だった。
劇的とか大げさとか、もっと言ったらつくられすぎた「映える」とかいらんのよ…
なんてがっかりもするのだけれど、逆にいうとその可能性が秘められた景色をわたしはそうとも知らず「明るくてキレイ!」に小さく収めてしまってるとも言えるんだろうけどさ。
たくさんの機能とかサービスでできることが増えるんだけど、こういう「ちょっとしたとこ」の遊びは残して欲しいなーなんて思っていたら…
最近の若者の中ではフィルムカメラで撮った写真が「画像が粗くて逆にエモい」らしい。
…ファッションも文化も、行ったり来たり揺れるもんだなーなんて眺めているのだった。
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