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重なる暮らし  447

重陽の節句って陽が重なるって書くんだな…
夏至は陽「極まる」っていうけど、陽「重なる」のはどうなるんだろう?
重なった方が暑そうじゃない?
っていうか、ゾロ目、みんな好きだよなぁ…
だから「一年で最も縁起がよく、不吉な日」なんて言われるんだろうか…
なんてどうでもよさそうなことをぼんやり思う。

普段自分たちが暮らす街と違う街に来ると、実は朝や夕方の時間がとても楽しい、というか興味深い。

この街は、この街の方々はどんな風に1日を閉じていくんだろうって。

昼間の「活動」や「社会」の顔から夕方の「閉じる」そして「ホッとほどける」方に向けてグラデーションを描くように街に「暮らし」の色がグッと濃くなってくる。

「働く」「よそ行き」モードで収縮した街が「うちに帰る」モードでほどけていく。こうして書いていると、街って生きてるんだなと今さら思う。

夕方は昼間の顔に「暮らしのフィルター」が少しずつ重なっていく。

わたしの暮らす街ではあまり見かけない大型犬とお散歩する人がたくさんいたりする。
犬の種類もたくさんですれ違うだけでも楽しくなる。

スレンダーなかっこいい子
長い毛を揺らしながら歩く人懐っこそうな子
小さな毛糸玉が転がるように歩くかわいい子

どうにもこうにも楽しそうな子
とにかくうれしいがあふれた子
さすがに暑いんだよね…みたいにトボトボ歩く子

そしてそのワンコ達が時々見上げながら、時には振り向きながら隣りを歩いているワンコの雰囲気によく似た人たち。

学校や会社に行くのと同じ「外を歩いている」動作なんだけど、顔が、まとう雰囲気が違っている。自分ひとりでする散歩も気楽だったり、ペースも保てたり色々いいことあるんだろうけど、きっとこの子達とするお散歩は違うんだろうなーなんて想像する。


そして同じく自転車に子どもを乗せて走るお母さん達もわたしのいつもの街ではあまり見かけない。

島は自動車率が高いから、お迎えの帰りなんかでちびっ子が乗っていても外からはあんまりわからない。
お店やおうち周りで見かけてはじめて「帰りなんだな」と認識するくらい。

でも、違う町で自転車に乗ってる親子を見ると「おかあさん、頑張ってるなー、ほんまエラいよなー」なんて感心しつつ、おかあさんの後ろで前で、溶けてたり遠くを見たり楽しそうに話してたりする子どもたちを見るとグッと「暮らし」が目の前に現れたように感じる。

どこにいたって、みんなの暮らしは続いてるんだ。


今日も暑い中、みんなホントに頑張った!エラかった!
なんて無言のエールを送りながら、わたしもうちに滑り込むように帰ったゾロ目の日だった。




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