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『せっかく』と『勿体ない』は、呪い。

私はよく、『勿体ないから』と言う。

『勿体ないから食べちゃおう』
『勿体ないから残しておこう』

『せっかくだから』もよく使う。

『せっかくだから買っちゃおう』
『せっかくだから行っちゃおう』

これらの言葉は、いい言葉だ。

ものや時間を大切にする、素敵な考え方とひとつだと思う。

だけど、私はいつからか、
これらの言葉の使い方を間違えていた。

いつでも穏やかで、素直でありたい。

食事のとき、本当は食べたくないけれど
『勿体ないから』と無理に食べる。

本当は使いたいけれど、
『勿体ないから』と使うのを我慢する。

これは、心に素直じゃない選択だ。

自分に、嘘をついていることになる。

本当は買うものは無いのに
『せっかくだから』と余計にものを買う。

疲れているけれど、
『せっかくだから』と予定を詰め込む。

これも、心を無視した選択だ。

自分を蔑ろにしている。

軽やかに、凛とした花のように生きたい。

『頭』ではなく、『心』の声を聴く。

『他人』ではなく、『自分』を軸に置く。

それが、わたしにとっての、長年の課題。

少しずつ、ほんとうに少しずつ、
改善はしてきているけれど、

疲れていたり、余裕が無いと、
すぐにここに縛られる。

自分を縛り付けるのが、すごく得意で。

安心するためにしたことが、不安を煽ったり。

よりよく生きるためにしたはずが、負担になったり。

生きるって、むずかしいですね。

たまにふと、『やめてしまおうか』と思うこともあるけれど、

でも、もうやめようとは思いません。

私の周りの、大切な人たちのために。

そして、未来で幸せに笑っているであろう、
じぶんのために。

ゆっくり、少しずつ。

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