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戦争報道に見る「印象操作」~殴らなければ何してもいい理論


今後、どんどん戦争の火種はくすぶり続けた人々の心に発火してゆく。
戦争の火種となるのは何も「恨みつらみ」だけではなく、大元のところで「欲望」が根っこにあるものだが、そういったものはあまり見ず、印象操作に引っ張られてゆく。


報道で「当たり前のように使われている言葉」がある。
たとえば、ロシアがウクライナに攻め込んだ時は『侵略戦争』という言葉を刷り込んだ。
連日これを『連呼』することで『刷り込み』が行われているわけであるが、これにより「反ロシア」の国の人々は「ロシアが侵略した」という【思考の基本情報】を脳に書き込まれたわけだ。

『侵略』というものが脳に刷り込まれた思考は、今度は「理由はどうあれ侵略は悪い」という『思考の流れ』へと誘導され、そのパターンが脳内に根付かされる。

戦争が起こるというのは、そもそも複雑な事情が様々に絡んでいる。
『兵は国の大事、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず。』と《孫子》の一番最初の言葉にある通り、「よほどのことがなければ」戦争は始まらない。

だが人は『単純』にしてやらねば情報を受け入れない。
逆に言えば『単純』にしてやることで情報が『浸透』しやすくなる。


戦争の初期段階の「情報操作」は『味方づくり』であると言える。
それは「どちらを応援するか」ということであり、それをわかりやすくするために、まるで『スポーツ』を観戦するときの心理状態を作り出してやればいい。
3S(スリーエス・Screen Sports Sex)である。

要は「心情的にどちらを応援」するかという初期段階で誘導してやれば、あとは野球やサッカーなどのスポーツを応援する『パターン(型)』にはまり込んで、以後「その型」を崩さなくなる。

人々を誘導してやることは簡単で、

どちらを応援することが、より自分が【善人】となるか?

その道筋をつけてやればいい。


喧嘩が始まるまでに、口論したり、罵倒したり、足を踏んだり、肘でぐりぐり押したり、服を汚したり、物を取ったり、嘘をついたり・・・・
それら様々なことは置いておいて

やっぱり先に殴った方が悪い

という理論である。
そして多くの人が、この「わかりやすい」理屈に賛同しやすい。

それは単に「自分が善悪の基点をつけたい」だけであり、それがなければ「観戦」できないという「3S」のパターンに『思考』が落とし込まれてしまっているのである。
そして、「一度決めたら」あとは「応援」するだけ。

まるで、オリンピックで自国のチームを応援するが如く。


毎日、無意識に眺めているテレビが、実は自分の「思考パターン」に『型』を作っているなどとは思わない。
ただ、『自分は善人の側に立っている』という優越性があればいいのである。

そのために『侵略戦争』という単語を連呼して、それが『当たり前の共通認識』であると【断言】されれば、人は「流れに乗る」生き物なのである。


自分の意思で『何を』決定したかわかってはいない。
善悪の判断をするためには、戦争を始めた両国の「内情」や「歴史」などを知らねば「自分で決める」ことは出来ない。
そんな『面倒』なことをしたくないし、でも「善悪」の『善の側』につきたいから『誰か』がそれを判断して『答え』を教えてほしいので、だから【断言】してもらうほうがなにかと決めやすい。

『自分で考えて答えを出して、周りと違ったら・・・』

だから自ら「誘導」の中へ入ってゆく。
そうしていれば「間違わない」という『型』である。

【洗脳】などというほどのものは必要ない。
思考がパターン化された人を誘導してやるのは【簡単】なことなのである。



そしてもう一つが【テロ】という単語。
これは、西側諸国の「植民地根性」が生み出した「都合のいい単語」であるのだが、もはや「常用語」になっている。

ヴァンパイアの如く血を吸う者に対して「抵抗」するものに付けられた呼称が【テロリスト】なのであるが、まるで『犯罪者』か何かのように思っている。
それは「血を吸う」側の見方であり、吸われる側からすれば『レジスタンス』なのであるが、すでに「応援チーム」を『誘導』によって決めてしまった人の心には届かない。

だから『ハマス』が何物でももはやどうでもいい。
「テロは悪」という誰かの【断言】に従って、その『流れ』に乗ってさえいれば自分は『善人の側』に立っていることになるのだからそれでいい。

だからどんなに虐げられていても、どんなに人が殺されていても『テロは悪』というパターンだけが思考の根幹であり、それだけは譲れない。
それを譲ると「自分が善人」であると『見られなくなる』から決して譲らない。



これら「先に手を出した方が悪い」という偽善者の詭弁の理論は、そのまま子供たちの教育の場に影響を与える。
学校では第二次大戦で日本が「侵略戦争」をしたことにされているわけで、それらを「習っている」子供たちに、自分のそのモノの見方がどう影響するかなど考えないだろう。

ロシアが『侵略戦争』だと言われた時、日本人なら真っ先に疑うはずなのに・・・もはやその気概は失われている。
過去に日本を護るために戦い死んでいった人たちに『唾』を吐きかけているようなものである。

だからそのことを一番驚いていたのが『プーチン大統領』その人であり、『日本人は自分たちが侵略戦争をしたと認めているのか?』と、唖然としただろう。

いやいや、プーチンさん、認めるも何も「考えて」すら、「気付いて」すらいませんよ(笑)


先日、安全保障理事会でパレスチナ自治区ガザへの援助提供を可能にするため紛争の一時停止を求める決議案が国連の安全保障理事会で否決された。
この時、反対にまわったのがイギリス、「アメリカ、フランス、ドイツ、そして〈ネオ・コロニアリズム〉の日本」と世界で報道された。

ネオ・コロニアリズム?

いわゆる『新植民地』の日本というわけである。


すでに日本は自らの意思決定権を失っている。
日本を植民地支配しているアメリカに「従う」のみである。
そして世界はそれをよく知っている。
知らないのは日本人だけ・・・である。


国がそうであるように、人々もすでに「決定権」を他者に委ねている。
自分の事すら自分で決められないほどに『ネオ・コロニアリズム』は浸透しているのである。
それを「心理操作」でうまく「意思決定」を奪い、思うとおりに操作するのが『ネオ・コロニアリズム』である。
「植民地支配」されていると気付かせない「新・植民地支配」の成功例が日本なのである。



「先に殴った方が悪い」という理屈は、自分たちが置かれている状況そのものなのであるが、そんなことも気付かずに、足を踏まれたり肘でぐりぐり押されたり、物を取られたり・・・いじめを受け続けている状態で「手を出せない」状況を自ら作り出している日本人。

ロシアはやり返した。
ハマスもやり返した。

でも日本は・・・・
ヘラヘラ愛想笑いを浮かべている。
これが『ネオ・コロニアリズム』なのだ。


それを『善』だと思い込んで・・・・

手の甲で『痴漢』をされていても『掌じゃないから』と正当化されているにすぎないのに・・・・・・・

その『正当化』を受け入れたのであるということに気付かず、『先に殴った方が悪い』という理屈は、『掌でやったら悪』と言っているようなものなのである。





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