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貧女の一灯。長者の万灯

むかし、和泉(いずみ)の槇尾山(まきおさん)のふもとに、一組の夫婦が住んでいました。子宝にめぐまれるように、いつも槇尾山のお寺にお参りしておりました。
ある日お寺からの帰り道、幼子(おさなご)の火のついたような激しい泣き声を、ふしぎに思った夫婦は声をたよりに進んで行きました。辻堂(つじどう)ののき下に、あみ笠の中にもみじのような手をふりながら、声をかぎりに泣いているではありませんか。
むちゅうでかけ寄った二人は、子どもをだき上げると、りっぱな絹の小そでに美しいたんざくがそえてありました。
千代(ちよ)までも ゆくすえをもつ みどり子を
            今日しき捨(す)つる そでぞ悲しき
このとき、乳飲(ちの)み子を捨てるせつない親心をさとった夫婦は、この子の親には捨てなければならないよっぽどの訳があった、そして子どものいない私たち夫婦に仏様が授けてくださったにちがいない と喜びました。
「もし親御(おやご)さん、わが子を見たくなったら、たずねて来てくださいよ。」と、槇尾山に向かって手を合わせました。
夫婦は、子どもに「お照(てる)」と名付けてだいじに育てます。
月日のたつのは早いもの、小さかったお照はすくすくと美しく育ち、村いちばんのやさしい娘になりました。
お照が十六歳になったとき、ふとしたことから両親が病のとこにつきました。お照の心のこもった手厚いかいほうもむなしく、母がなくなり 間もなく、父も後を追うようにこの世を去りました。
父が息をひきとる前に、お照をまくらもとに呼んで、その生い立ちを話して聞かせ、実の親の形見をわたしました。あいついで両親を失ったお照は、一人ぼっちのさびしさ、悲しみにくれていましたが、
やがて、お照は育ての親の心をありがたく思うようになりました。お照は、両親のあの世の幸せをいのるため、冥土の道を照らすという灯(ひ)の話を聞き、高野山の「奥の院」にお供えしようと決心しました。けれども、貧しいくらしのお照は、手元に灯ろうを買うだけのお金は少しもありません。
お照はいろいろと考えたすえ、黒かみを切って、お金にかえることにしました。そのお金で小さな一つの灯ろうを買い求め形見の品と両親のいはいといっしょに、灯ろうを持って高野山へ向かいます。
ようやくたどり着いた里で、高野山の女人禁制(にょにんきんせい)のおきてを聞かされました。
一心に思いつめてきたお照はおどろいて、とほうにくれます。今までの旅のつかれがどっと出て、その場にうずくまってしまいました。ただ、なみだだけがとめどなく、ほおを伝います。
しかしそのとき高野山から足早に下りてきた若いお坊さんに助けられました。そのお坊様は、「夢のお告げで一人の娘さんのことを知らされ急ぎかけつけてまいりました。」と告げるのです。
お照はお坊さんとともに女人堂まで上り、うれしなみだでほおをぬらしながら、灯ろうをわたすことが出来ました。
やがて、「奥の院」のお祭りの日、新しい一万個の灯ろうに灯がともされました。それを寄贈したのは長者でした。おごそかなお経の声に包まれて、長者は今までにだれもできなかったことに、満ち足りた気持ちでいっぱいでした。
そのとき長者がなかに見知らぬ一灯があることに気付きました。
「あの小さな灯ろうは、だれのものか。」と、僧にたずねます。
「あれは貧しい娘がささげました。」
と、聞いたとたん、
「あんなちいさなあかり、いやしい女の、明かりが何になろう。」
と、取り去ろうとします。
するとにわかに風がふきこんで、こうこうとかがやいていた万灯がぱっと消え、お堂の中は真っ暗になりました。
その暗やみの中に、小さな一灯(いっとう)だけが静かにともっております。両親のぼだいをいのり、乙女の命の黒かみで納めたお照のともしびでした。
このふしぎなできごとに、長者は自分の行いを心からはずかしく思い、両手を合わしました。
それから、お照のともしびは「貧女の一灯」として、長い長い年月を一度も消えることなく、今もなお「奥の院」の大きなお堂に清い光をはなっています。
その後、改心をした長者のはからいにより、お照るは、天野の里にいおりをつくり、尼となりました。毎日いのりをささげるお照は、いつしか天野の里人にも親しまれるようになっていきます。


ある年の冬、粉雪がまう朝、お照は行きだおれの老人を見つけました。
お照るは「私は御仏(みほとけ)に仕える者です。どうぞ、いおりでお休み下さい。」
と、だき起こしました。
すると老人は、
「かたじけない、………。人の情(なさけ)にすがることのできない、罪深い男でございますが このたび高野山へ登り、お大師様(だいしさま)のもとで一生を送りたいと、ここまで参りました。  ざんげ話をお聞きくだいますか。」
老人は長い旅の間に妻に先立たれ、困り果てたすえ槇尾山のふもとで、わが子を捨てたことを話しました。じっと聞いていたお照は、父の最後の話を思い出しました。
(もしや、このお方がお父上様では………。)
と、はやる心をおさえながら、あのたんざくの和歌を静かに読みました。
千代までも ゆくすえをもつ みどり子を………
「その和歌を知っているあなたは、照女(てるじょ)………。」
「………お父上様………。」
両手をにぎる父親と娘は、このふしぎなめぐり合わせをなみだを流して喜びました。 その後、老人は高野山で僧になり、お照は天野の里でおだやかないのりの一生を送りました。かつらぎ町天野では今もなお、お照の墓・いおりのあと・父母の墓石(ぼせき)の伝説が、ゆかしく語りつがれています。
出展:かつらぎ町今むかし話   
 
心からの想いは人の心を動かし、深い繋がりは時として奇跡を起こします。
 
お照るが育ての親と住んでいたとされている地、ゆかりの寺とされている鳳林寺は和泉市坪井町に有りお照るの像がたてられています。
お照るが高野山へと歩いた道のりはどれほどだったでしょう?最近はそこに整備されたトンネルが開通し時間が短縮されております。お照るが辿った道を繋ぐと和泉から天野そして高野へと繋がるのです。全ては高野に繋がっているのが見えてきます。 もみじ
 
 
 

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