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EP16.【蔡逸海#31】

アメリカ帰りの帰国子女
海外で感じた日本文化との違いとは

蔡選手が大学時代に書いた日記はこちら↑↑↑

築き上げた三本の軸

幼い頃に台湾での生活を経験していた蔡。

海外への興味・野球・勉強

この3軸で築き上げられた学生生活だった。

文武両道に目覚めた中学時代。
生徒会長を務めるほどの模範生徒は、グランドへ出ても模範選手を演じていた。

「勉強がちょっとできたのもあって、教科書通りを求めちゃうっていうか。こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないみたいなのがあって、自分の考え方に蓋をしちゃうところがありました。」

この頃目覚めた勉強は、すればするほど右肩上がりに。
瞬く間に野球と勉強の両立へと走り出した。

また、当時通っていた塾の先生からも勧められ、この時より“慶應義塾高校”への進学を目指し始めた。

「地元で一番頭良かったし、なんでも一番だった。生徒会長をやっていたこともあったから、推薦入試と、一般入試も受けたんですけど…ダメだったんですよね。」

それでも進学した先は偏差値70の公立高校。
滑り止めで受けるには十分胸を張れる学校だった。

野球でもポテンシャルは備えつつ、しかしレギュラーの座を掴みきれずにいた蔡。
高校2年生の秋、自分たちの代となり初めてつけた一桁の背番号は、成績が徐々に芳しくなるとともに大きくなり、最後の夏には一塁コーチャーとしての出番に終わった。

「やっぱこう(教科書通りに)なるんかな。元々始めたのも遅くて、経験の差を何で埋めようって考えた時に“勉強するしかない、いろんな人の真似をするしかない。”みたいな。だから佐和(小川)みたいにセンスでプレーできないんですよね。」

気持ちのいいほど声を張るスタイルとは裏腹に、確かに迷いのあるプレーがしばしば見える節もある。

それでもいくらか威勢も増してきたと語るスタイルには、きっと海外で経験した新しい野球が影響しているに違いない。

「(大学)4年生の春リーグが終わった時って就活シーズンじゃないですか。そこで自分の招来を考えた時、どうしても海外が捨てられなかったんですよ。留学したいなって。」

野球に一区切りをつける覚悟を持ち、思い切って向かった海外リーグ。
初めて触れたベースボール文化は、意に反して闘志を燃やしていくこととなる。

ベースボールと野球の違い

attaboy!!

和歌山ウェイブスのグランドには、いつだって蔡のEnglishが響き渡る。

初めて肌で触れた海外野球。
パワーとスケールの大きさに圧倒され、自分が生きていく道を自分で切り拓くことを決意した。

「アメリカのプロリーグで活躍する日本人がいて、フリーバッティングしても外国人に負けないくらい飛ばすんですよ。それで外野で生きていくならこうするしかないと思って。けどやっぱり身長のハンデってあるじゃないですか。俺はこうはなれないなって。だからコールアップされるなら内野だなって思いました。」

給料はなく、たまのミールマネー(食事代)が出る程度。
それでもマイナーから落ちてくる選手が多数いたこともあり、リーグのレベルは高かったという。

打ちのめされた期間もあったであろう。
だが時期に、覆された常識に心踊らされることとなる。

「今まで野球頑張ってきたし、踏ん切りをつけるためにアメリカへ行こうじゃないけど…。大学の進路も就職が王道だったから就職しなきゃいけないと思ってたんですよ。けど自分が参加していたリーグは選手の平均年齢が27、8歳だったからびっくりしました。」

その後色々調べていくうちに、マイナーからメジャーリーグへ昇格する平均年齢が28歳という事実を知ることに。
22歳になる年で野球を終えるにはあまりにも早すぎる決断だった。

「まだまだなんすよ。中南米の選手は早熟だから、20代前半で行く人が多いじゃないですか。けど白人はもうちょっと遅くて、アジアなんかは(年齢が)一番高い。だから日本人も30歳超えてメジャーリーグ行く人が多いんじゃないですか。」

日本では25歳前後で競技生活を終える野球人は多い。
しかし国を渡ることで、年齢という日本では足枷となる評価ポイントが取り払われる現実を目の当たりにした。

「アメリカの野球って能力でコールアップされるんですよ。右ピッチャーだったら92マイル+カウントの取れる変化球、打者だったら打球速度が160km/hみたいな。年齢にはシビアだけど、逆に実力さえあれば受け入れてもらえる。」

壮大なパワーとスピードはもちろん必要条件。
それに加え、日本人の特性が掛け合わさった時、新たな野球人としての価値がもたらされる。

「ベースボールの中で野球があったら野球の価値ってめちゃくちゃでかいなと思うんですよ。小手先のスナップスローとかは日本人の方が得意だし。そこを突き詰めれば海外でもプロになれるかもしれないと思って、今は日本の野球を学ばせてもらってるって感じですね。」

夢を感じた野球の母国。
自由で広大な国のもと、自分の夢も膨らんだ。

「なんでもいいからプロになりたいなって思ったんですよ。アメリカの独立リーグでもお客さんはすごい入るし、何か夢を与えられるところだなって思って。好きだから、センスはないけどプロになりたい。」

むき出た感情に人の心は動かされる。
興奮と感動を分け与える起爆剤へと進化していけ。

俺を見ろ。
夢物語を見せてやる。

IT'S ME!!

声で始まった野球人生

小学校5年生の時。
近所のお祭りで神輿を担いでいた当時の蔡は、一際目立つ声を出していた。

“お前いい声出てるな。野球チーム入ってくれたらキャプテンやらせてあげるよ。”

キャプテンという言葉に踊らされた蔡は、そのまま野球チームへと入団。
蔡らしくもあれば、この時から目立ちたがりな性分が湧き出ていたのだろう。

結局キャプテンをやらなかったオチまで含めてが“蔡逸海”。

和歌山ウェイブス公式戦も残り9試合(8月25日現在)。
代打起用が増えてきたが、しっかり結果を残してきている。

監督からもお墨付きの起爆剤。
Anti-Heroに収まらない、本物のHeroへと覚醒する。


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