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「四度目の夏」15

 アルチメイトブロック

 知ってると思うけど、とぼくはうつむいたマサキに向いて言葉を重ねる。
「人工知能がぼくら人間の知能を超えたってニュースになってもうすぐ一年が経つよ。その境界特異点――シンギュラリティ以降、AIが人間を滅亡させるためにひそやかに息を殺して計画たててる、いよいよ実行に移す、なんて、フェイクニュースが毎日すごい数でSNSを埋め尽くしてる。
 フェイクっていっても、元ネタはれっきとした名だたる科学者たちだからね。あ、わかってると思うけど『息を殺して』っていうのは比喩だよ。AIは呼吸なんてしないからね」

 マサキ、反応なし。というのも予想通り。ぼくは小さく息を吐き、それから勢いよく吸った。

「ぼくらの世界はすでにAIに満たされてるよ。もはや切り離せないインフラだよ。ぼくらはすごくうまく共存してきて、AIはなくてはならないテクノロジーになのに、なんで敵対するようなことばっか言うんだろうね。いやになっちゃうよ。しかもさ、その危険視されているのは特定のAIで、あるブランドのAIなんだ。わかるよね。バーバルのアナスタシアだよ」

 バーバル社が作り出したアナスタシアに搭載しているAIは、特殊なセキュリティソフトが組み込まれている。アルチメイトブロックだ。
 
 2034年、一人の日本人男性名のプログラマーらしき人物が、今世紀最大の発明とされる一つの論文をハーバル社に送った。

 ハーバル社は当初これを相手にしなかったが、ハーバル社の取締役の一人でありプログラマーのチームリーダーでもあるアボット・ガイティの目に止まり、彼はその人物と連絡をとった。
 当時バーバル社はすでに世界の富裕層に向けてアナスタシアバージョン1.0発売を開始していたが、アナスタシアが得る情報の流出、アナスタシアのAIを乗っ取って別情報の上書きやウイルスなどハッカーたちの横行が激しく、ハーバル社のプログラマーチームはその問題に頭を抱えていた。
 すでに被害も出ていて、ハーバル社はその多大な賠償の責任を負うこともあった。アナスタシアはハーバル社の社運を掛けたヒット商品になるはずが、発売中止を余儀なくされる寸前だった。

 もちろんアボット・ガイティは社外からのその論文を、あまり信用しなかったと言われている。だけどこの論文の送り主、ホクトマサキという日本名を名乗るその人物とのやり取りをしていくうちに、とんでもない金脈を得たと稲妻に打たれたようだったと、のちに彼はNEWSCIENCE社のインタビューで答えた。

 その論文こそがのちにアナスタシアに搭載されるアルチメイトブロックのシステム開発だ。

 アルチメイトブロックの暗号システムはそれまで暗号法とまるで違うアルゴリズムで形成され、ビッグデータとアナスタシアのAIをつなげると同時にAIの学習内容(得た情報)を特殊な暗号に変換し、その暗号は毎秒14回自動的にブロックされる。ブロックの上書きにが毎秒14回更新というのは、途方もない素数を必要とする暗号システムだ。
 だから本来なら途方もない電力が消費される。でもホクトマサキが発明したシステムは人の頭脳を必要とせず自動で、なおかつ、電力消費はほんのわずかという画期的なものだっただった。
 このたった一つのシステムおかげで、ハーバル社と全世界のハッカーたちとの攻防は終焉を迎えることになった。

 発明者のホクトマサキはハーバル社から提示された1億ドルとも10億ドルとも言われる提示された報酬をなぜか受け取らなかった。そして消えた。

 そしてハーバル社はアルチメイトブロックの独占を決める。
 やり取りとしたのはガイティだけで、それも量子コンピューターによる電子暗号での取引だったため、ホクトマサキを特定することはできず、IT界では伝説となった。というか、この出来すぎなストーリーはハーバル社の盛大な作り話だとさえ言われた。このアルチメイトブロックのシステムと同時にこの神秘的な物語は大いにハーバル社の宣伝効果をもたらしたからだ。

 世界から注目されていたハーバル社は、2034年ホクトマサキの代わりにノーベル科学賞を受け取った。
 ガイティは記者会見のスピーチで世界のどこかにいるホクトマサキに向かってメッセージを送った。

――ミスターホクト、もう一度連絡をくれ。我々はいつでも君を迎える準備がある。

 世界中のマスコミがホクトマサキを探した。
 偽物のホクトマサキが世界中で何百人も現れたし、そのつどマスコミはこぞってニセのホクトマサキを追いかけた。幸い有識者はそれが本物か偽物かを嗅ぎ分けた。なにせ偽物のメッキはすぐに剥がれる。なぜなら偽物はだれひとり論文の知識の千分の一もなかったからだ。

「去年きみと虹池で知り合ってから、きみのことが気になってたんだ。きみがブレンダと呼んでるシリアルナンバーの入っていないバーバル社製のパーソナルマシンとかさ。今日だってぼくが奥茂った山の中で転んだことだってバーバル社の衛星で見てたんだよね。それってバーバル社と太いパイプがないと無理だよね?」

 心臓がどきどきした。
 
 この夏休みをずっと待ってたんだ。
 マサキに会えたら聞いてみたかった。ずっと。
 ぼくはできるだけ声のトーンを抑えて好奇心を丸出しにしないようにした。今日のマサキは涙をこぼしたりして、とてもセンシティブな感じがするし、ほんとうはもっと時間をかけて、それから聞くほうがいいのかもしれない。でもぼくはぼく自身を止めることができなかった。

「あのさ、あれってきみなの?」
 マサキがぼくを見た。
「アルチメイトブロックを発明したのは、北斗真規、きみなの?」

 もしも、目の前にいるこのひきこもりの、すこし情緒不安定なこのひとがアルチメイトブロックの創造主だとしたら——
 
 マサキの言葉を待っている間に、ぼくは息をのんだ。あまりに静かだったから、ぼくののどがコクンと鳴った。マサキにも聞こえただろうか。聴力の性能が高いブレンダに聞かれただろう。

 マサキはなにも言わなかった。キャンドルがかすかに揺れるのが、彼のこめかみに反射するだけで、表情はなにも変わらない。
 あまりに長い沈黙で、ぼくは待っていられなくなって声をあげた。
「そうだよね!ちがうよね。白雲岳の、こんな奥深いところに、そんなレジェンドがいるなんて、そんなこと、ありっこないよね。でもほら、世界のどこかにホクトマサキはいるはずなんだよね。まぁでも名前が日本名ってだけで、日本人かどうかもわかんないし……」

 マサキは相変わらずなにも言わない。長い前髪が顔を覆ってその表情も読み取れない。ぼくがここに来た時と同じに、ソファに胡坐を組んで座って、そのうえに両手を力なく置いている。ぼくを見て涙を流したのに、いまはただ目の前の空間に視線をやってるだけで、ぼくを見ない。

「わかってるよ。そんなことありえないって。世界がホクトマサキを探して、見つからなかったんだから。でもさ、きみ、黙ってないで、ちがうならちがう、って言ってくれなくちゃ」

 もしも目の前の彼がホクトマサキだとしたら。
 ぼくはこの手の空想が大好きすぎて、いくらでも浸ってられる。もしも目の前の彼が、世界が驚嘆したスーパーヒーローだとしたら。

「名前が同じってだけだもんね。アルチメイトブロックのホクトマサキが本名かどうかもわかんないし」

 ぼくはカップを手に取って、紅茶をすすった。
 名前が同じってだけだ。そもそもアルチメイトブロックのホクトマサキが本名かどうかもわからない。
 紅茶からふんわりと香る。フレーバーティだ。ほんの少しバニラエッセンスが入っている。
「おいしい。ありがとうブレンダ」
 ぼくは離れたところで、こちらではないどこかに向いているマシンにむかってお礼を言った。
 もう一口紅茶を飲んで、そしてマサキを見て、またブレンダを見た。

 まるで時が止まったみたいに動かない二人。一人は人間で、一人はマシンだ。薄暗い部屋で動かない二人のいる空間は、なんだか現実的じゃない、不思議な映像のなかに迷い込んだみたいな錯覚があった。

 アルチメイトブロック以前と以後では世界が変わった。
 IT史上、ぼくらもっとも安全な時代を生きることができる。アルチメイトブロックによってそのセキュリティが盤石のものとなった。

 なのに、嫉妬にかられた科学者たちがおかしなことを言い出したんだ。

 そのアルチメイトブロックこそが、AIの自律性を際限なく高め、シンギュラリティを早め、人知を超えて、予想もつかない人類の破滅を招くことになる、って

 そんな見解バカげてる。
 バーバル社がつくったアナスタシアは、「フレンドリーな、よりフレンドリーな」を掲げて、ぼくらを支えてくれる。どこまでも忠実でいてくれる存在のはずだ。

「大丈夫だよ」
 ぼくはマサキに言った。
「安心して、だれも言わないから。ぼくだけの秘密。きみとブレンダと、ぼくの」
 マサキのまつ毛に囲まれた黒い瞳がゆっくりとぼくをとらえた。その目はもう乾いていて、深くて、静かだった。ほほ笑んでもいないのに、ほほ笑んでくれたように見えて、ぼくは笑った。

「そっか。そうだったんだ」

 ぼくは言った。
 友達ができた。ぼくはそう感じたんだと思う。勝手に。相手の気も知らずに。ぼくの友だち。優樹くんと、やっともう一人——マサキ。
 よっくんは、いとこだし、小学生だけど、友だちということにしてもいい。それから、ブレンダも。
 いい夏休みになりそうな予感で、ぼくはうれしくなった。

最後まで読んでくださってありがとうございます! 書くことが好きで、ずっと好きで、きっとこれからも好きです。 あなたはわたしの大切な「読んでくれるひと」です。 これからもどうぞよろしくお願いします。