「四度目の夏」7
釈迦をモチーフにしたアナスタシア
「そのマサキくんとやらは年はいくつなの?」
佳奈恵さんが訊いた。
「二十歳くらいじゃないかな、たぶん。でももしかしたらもっと年上かも。マサキは体が弱くて、この下の新興別荘地で療養しているらしいんだ。お母さんがいなくて、お父さんは仕事の合間にこっちに寄っているとか」
「マサキくんが名付けたっていうブレンダは、どのバーションのアナスタシアなのかな。最新型かな?」
益司さんが言った。
「うーん」
ぼくは首をかしげた。ぼくのアナスタシアもそうであるように、アナスタシアはどのバージョンなのか手や首にICタグが刻印されていたり内蔵チップを読み取ればすぐにわかるように施されているのだけど、マサキのブレンダには刻印がなかった。
「去年マサキに訊いたら、これはぼくのオリジナルバージョンだからって言ってた」
「オリジナル? どういうこと?」
「よくわかんないけど、マサキのお父さんがバーバル社の研究員だとかなんとか」
「そうなの?」
佳奈江さんが声をあげた。
「うん、そんなふうなこと言ってたけど。保証期間中に壊れたアナスタシアの一時的代替マシンとして作られたものを貰い受けたとかなんとか。代替マシンとして作られたから刻印がなくてチップも内蔵されてないって。オフラインだからこれ以上の自律成長もなくて、だからビッグデータにもつながってないって。だからブレンダがどんなソフトウェアなのか興味あるんだよ、ぼく」
「バーバル社関係の人間ならそういうのも手に入るのかしらね?」
「なぁ、マサキに頼んだらロボットをうちにももらえるん?」
よっくんが訊いた。
「こーら」
佳奈恵さんがよっくんをたしなめる。よっくんも懲りない。ぼくはちらりと益司さんを見た。益司さんの表情からはなにも読み取れなかった。でもよっくんは益司さんと目を合わせて、そしてまた下を向いた。
佳菜江さんがみっちゃんの口にお味噌汁の乗ったスプーンを入れて、その小さな口びるの周りについた汁をハンドタオルで拭いた。
「この町は新興別荘地ができて急に変わっちゃって、住人が増えたのはありがたいんだけど、なんだかそぐわないのよ。わたしが時代についていけてないのね」
それって白雲岳が削られてできた人工的な住宅地に? AI搭載のヒューマノイドマシンに?
「それだけ僕たちが長いあいだ狭い環境で暮らしてる、ってことだ。外ではこうやって進化している。世界は広いよ」
益司さんが笑う。
「おれも外の世界が見てみたいわ!」
よっくんが早口でそう言うと、益司さんと佳菜江さんの穏やかな表情が固くなった。
ぼくの父さんがそうであったように、よっくんがここを出て、広い世界を見たいという気持ちになるのもわかる気がする。
益司さんも言った。ここはとてもとても狭い。だけどアナスタシアというマシンが人間と共存している現実よりも、白雲岳で暮らしているこの家族のほうがぼくにとっては未知で、不思議で、そして懐かしくもある。父さんの両親ーー父さんの元家族、ぼくと血のつなかがったいとこたち。白雲岳の山肌に群れる鳥の影。鐘楼(しょうろう)を照らす朝日。
「ぼくが初めて両親と来た三年前は、まだ中腹のあたりは宅地にするための大掛かりな工事をやってて、駅からタクシーで来たけれど通行止めが多くて、やたら時間がかかったのを覚えてます。今日は無人バスだったけど三年前よりずっと早かったし、けっこう別荘地の停留所で降りた人も多かったから」
長い時間をかけて白雲岳の中腹に、新興別荘地が造成された。
そのおかげでバスは走り、山のふもとには大型のショッピングモールもできた。そしてわざわざ山を降りなくてもAI搭載の無人配達自動車で食料が運ばれる。益司さんたちの生活は前よりずっと便利になったはずだ。
益司さんと佳奈江さんは何も言わなかった。
白雲岳の頂上がこの寺の背後に高くそびえ立つ。寺から見上げる山肌の景色、それは何百年? もっと? ずっと変わらない。この白泉寺に鎮座するあの観音様も。
「アナスタシアは菩薩に似せて作られたんですよね。ここの本堂の聖観音菩薩様にも似てるもの……ぁ!」
言った瞬間にぼくはあわてて口をつぐんだ。この寺のご本尊とヒューマノイドマシンのアナスタシアが似てるなんて!
「ごめんなさい……ぼくも、その、アナスタシアに育てられたみたいなところがあるから、あの顔には親近感があって……いやあの、すみません!」
「君が謝らなくていいさ」
益司さんが手を振った。その表情は笑っているけれど、困惑しているようにも見える。ぼくは水を飲んだ。
アナスタシアのデザインチームは男でも女でもない中性的な顔を作るのに苦労した。少年のような顔を作ったり、アニメ的な顔を作ったりしたと聞いたことがあったけれど、結局バーバル社が気に入ったのは、日本の国宝に指定されている観世観音像の顔を模したものだった。細い瞳に、やわらかな曲線を描く鼻筋、小さな唇。アナスタシアという名前のイメージからは程遠いが、意外なことにこれが世界的に受けた。
意志を感じさせず、なおかつ慈悲深い顔として、主張を自己表現の一つとする欧米からすれば、奥ゆかしさというある種の「美学」というものがデザインで表現されていると絶賛された。欧米のみならず中東の富裕層からの注文も殺到した。
ただしアジアの仏教寺院は、聖なる観音像を人間に隷属するマシンの顔にするとは不快きわまりないとの声明を出したが、これはあくまで「美なるデザイン」だとしてバーバル社が聞き入れることはなかった。
それどころか、ヒットに気を良くしたバーバル社は「デザインが時代を、世界を変える。アナスタシアという美の体験を、あなたの生活のなかに」という宣伝コピーを作り、世界中の言葉に翻訳され、世界中の広告を占拠した。
益司さんが言う。
「その美に対して畏怖の念を感じずにはいられないというのは、僕たちが仏教に従事しているからだけの理由ではないと思うね。世界が菩薩の顔を美しいと認めたことは喜ばしいことだとしても、特定の会社が莫大な利益を産むために利用されたと思うと、嘆かわしいという声も当然に上がるだろう。
だけど一方で、その『美』という概念のおかげでアナスタシアが単なる人間の奴隷ロボットで終わっていないところが興味深くもあるよね。
アナスタシアはまるで一個の人格を持ったように、人間から丁重に扱われている。それによって搭載された人工知能が、『確かなる人格』を形成し始めたという懸念も生まれている。科学者はずっとこれについて警鐘を鳴らしているものね」
「あぁあ、おじいさんがご飯口に入れたまま寝てしまったいね! おじいさん、喉にひっかけて死んじゃいますよ! ほぅら、起きて!」
おばあちゃんがじいちゃんの頬をパチパチと叩いた。
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