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業の肯定と矛盾の肯定


『大豆田とわ子と三人の元夫』を遅ればせながらついに見終わりました。
本当に良いドラマだった。。!!!

私は人間の業を肯定している人が好きだ。
そういう人の作品が好きだ。

だから宮藤官九郎のドラマも好き。
業の肯定と言えばこの人!な、立川談志も好き。

立川談志の著書より。

私にとって落語とは、“人間の業”を肯定しているというところにあります。“人間の業”の肯定とは、非常に抽象的ないい方ですが、具体的にいいますと、人間、本当に眠くなると、“寝ちまうものなんだ”といっているのです。  


業の肯定の精神は、大抵のことをコメディにする力がある。

心に風が吹き抜ける。安心する。笑ってもいいんだと思える。


業によってできた傷を治そうとしたり、隠そうとしたり、傷跡を消そうとしたりするとツラい。

でも業を肯定することで、傷を抱えて生きていくことができる。

『大豆田とわ子と三人の元夫』を見た後も似たような感覚を味わえました。


落語が業の肯定ならば、
豆夫は矛盾の肯定でした。

最終回に風吹ジュンのセリフで

「どうしてだろうね。家族を愛していたのも事実、自由になれたらと思っていたのも事実。矛盾している。でも誰だって、心に穴を生まれ持ってきてそれ埋めるためにジタバタして生きているんだもん。愛を守りたい。恋に溺れたい。1人の中にいくつもあって、嘘じゃない。どれも、つき子」

とあったのだけれど、
私としてはこれがこのドラマを象徴するセリフだったように思います。



自分の中にあると苦しいものーーー

それは痛みだったり、生きづらさだったり、不器用さだったり、病気だったり、嘘だったり。


それで苦しんじゃう時は、
立川談志の落語を楽しんだり、
クドカンのドラマ見たり、
大豆田とわ子と三人の元夫を見たらいい。

なんか笑って元気出るし、
自然と『自分の中にあると苦しいもの』と共存できるようにチェンジしてる。

坂元裕二さんの脚本は名言の宝庫。


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