GIGAスクール構想における教員の存在意義について


教育行政に関わる20代職員(教員ではありません)としての素朴な疑問です。

教育の現場、とりわけ公立の義務教育の教壇に立つ教員の皆様からの率直なご意見をお聞きしたいです。

GIGAスクール構想における教員の存在意義についてです。

教育現場を離れた目線から見ている者の率直な感想が書かれているゆえ、不快になられた方には申し訳ありません。建設的なものであれば、批判的な意見も沢山聞きたいです。

各自治体によっては導入状況が異なるかもしれませんが、全体的なスキームとして、令和2年度中に各学校のネットワーク環境の基幹工事を終え、当初計画から3年前倒しで、一人一台の端末を順次配備していく計画と承知しております。(すでに配備済みの学校もあるかと思います。)

この構想は、これからのAI時代を踏まえ、加速度的に変化していく社会に対応できるよう、一人一人の児童生徒の能力や学習状況などに合わせ個別最適化された教育を施す環境を整備することが目的とされております。

そのために、一人一台タブレットなどの端末を配備し、それらを前提としてこれからの授業を構築していくものです。

そこで思うことが、公教育の目的の一つである教育の機会均等の趣旨から考えると、

①全国的にトップレベルに教えることが上手い教員の授業内容を録画し、全国一律でその授業の受講を基礎学習とする。(例えば学習指導要領に位置付けるなど)

②①理解度に応じて、習熟度別にクラス編成し、個別最適化した教育を施す。例えば①の内容を個別にサポートするクラスや、①を前提とし更なる教育内容を施すクラスなど、さまざまなクラス編成が考えられます。

など、こうした教育の質的転換が必要な時期に来ているのではないかと感じています。

この考え方は、小学校では生活指導も含むため一律には難しいかもしれませんが、教科担任制の中学校以上の校種ではより効率的・効果的な教育が施せるのではないかと思います。

とはいえ、これまでの対面教育のメリットもあり、教室の肌感覚を感じながらの授業などの良い点は多数あると思います。

ただ、今の現状では、例えば、中学・高校の英語教員のうち50代を超える教員が未だにカタカナ英語を使っている・そもそも話せないものがいるなど教科指導力に課題がある教員も多くいる状況です。

となると、ネイティブ発音の優秀な教員が高い技術で練られた授業を受講した方がより良い教育になると思います。言葉は悪いですが、生徒にとっても最適な教育の機会を得られますし、教科指導力の低い教員も税金で雇わなくてすみます。(現状と比べてあえて、マシという表現を使っています)

そうなると、今の学級編成に応じた教員数は本当に必要なのか?とも思います。正直、半数くらい減らすことが妥当ではないかと思っています(あくまで感想で感覚値です)。

これまでの文科省の官僚的性質からいきなりこういった質的転換は当面は無いと思いますが、将来的にはこういった方向に動いていくのではと考えています。財務省的にも教員定数は少子化に伴い削りたいと散々言うているので、、、

そこで、公立の義務教育学校で教壇に立っている教員の皆様に3点ほど質問です。

①この間のGIGAスクール構想をはじめとする教育の情報化の動きについてどういった受け止めをされているのか

②こうした状況を踏まえて教員の存在意義をどう考えているのか

③今の子ども達がつく仕事は今存在しない職と言われています。これらを踏まえて、子ども達になにを身につけさせたいのか、いまどういった教育を実践されているのか、実践する上での悩みなど

お聞かせていただければと思います。

教育行政の端くれとして、かなり率直な意見を書きました。教職に誇りを持っている人からすると何を若造が、、、というお気持ちでしょうが、一つの意見として述べさせていただいた次第なので、それはそれでその気持ちをお聞かせください。

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