らべあろ観光バス旅行 〜島原城〜


らべあろ企画、名城巡りのバス観光旅行に、参加させていただきます。

支度に遅れてもたもたしていた私に、優しくバトンを回してくださったのは、土井あくびさん。
天翔る鶴、美しい唐津城の御句!唐津城は、別名舞鶴城とも呼ばれているのですね。


さて、回していただいたお城は、島原城。

島原城。島原の乱。天草四郎。キリスト教。
日本史で習ったはず、という程度の言葉しか浮かばない私。ツアー参加資格はあったのだろうかと、今になってお恥ずかしい限りです。

島原・天草一揆の一因とされているのが、松倉重政による島原城の築城です。1616(元和2)年、原城を築いた有馬晴信の子・直純の代わりに新領主となった重政は、原城を廃城として1618(元和4)年から築城を開始。1615(元和元)年の一国一城令後に江戸幕府に新築を許可された城は珍しく、島原半島における新たな拠点と見込んでの大事業だったようです。

後継した松倉勝家はさらなる暴政を行い、非人道的な弾圧を断行。さらに凶作が続き飢饉が発生したことで、領民の不満と怒りはピークに到達したようです。表向きには消滅していたキリシタンが棄教を悔い改めて、再びキリシタン信仰に立ち返りました。一揆に加勢したキリシタンの多くは、一度は棄教した人々だったといわれています。島原・天草一揆は突発的なキリシタンの反乱ではなく、長きに渡る迫害と窮乏の末路でした。

悲惨な大事件があったとは思えないほど、現在の島原城には穏やかな時間が流れています。東側には島原湾が静かに広がり、西側には標高約819メートルの眉山がそびえます。

文春オンラインより抜粋


ロザリオを手に島原の城は春

季語: 春/三春

島原城のことを、あまり伝えられていないように思います。添乗員さんはじめ皆さま、こぞって割り込んでくださいませ!

さて次は、熊本城。
Sazanamiさん、お願いできますでしょうか。


今日は立春ですね。
外はまだ寒いですが、バス旅行やバス旅行など!春と聞くと出かけたくなってきます♪
どうぞよろしくお願いします。