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入試のためじゃないときの学び方?

 日本での、「学ぶ目的」と「何を学ぼうとするか」「誰のためか」を本音レベルの状況を考えます。

 学校で学んだ学び方を、働き始めてから発揮したときの話です。
 「学校」は、学び方を学ぶところです。

 パソコンはパーソナルなコンピュータのことを言うけれど、パソコンを買えるのは職場だったころの話です。数人に1台あるレベルでした。パソコンを使う目的は、「清書」でした。
 今のWordやExcelに相当するものは、当時は一太郎、Lotus 1-2-3でした。

 最初は、清書のためのパソコンオペレーター担当になった人はもしかすると、メーカーの使い方研修に参加したかもしれません。
 少し時間が経ち、パソコンの台数が増え使う人が増えてきたときに、単なる社員の立場の僕たちは、使い方を系統だって教えてもらうものでも、学びに行くものでもありませんでした。
 一太郎などを使ってみて、分厚いマニュアルを読み、使う目的ごとに書かれた逆引きマニュアルを調べて使っていました。職場内で、使い方を教えあったりもしました。

 仕事のためですが、学んでいったのは誰かのためではなく、自分のためでした。
 何かのためにパソコンなど「道具を使う」ことは学校時代から学んできています。学んだのは、「道具を使う時の学び方」です。
 学校では、「式を立てる」ことを学びました。この「式」が、道具です。
 計算のために電卓を使うもっと前からです。算数の問題を解くために式を立てるのも、「道具を使う」ことになります。

 日本の学校は「入試のため」という目的が前面に出過ぎていますが、
 「自分が」「設問に解答するために」「式を立てて計算する」
 という構造で、『知識』と『技術』を身につけていきます。
 これらの方法は、意図もわかります。成果も出ています。

 学校の学びは知識だけではなく、「学び方」でもあります。
 小学校から中学校、高校と上がるにしたがって、学ぶ目的が誰かから採点される「入試のため」の意味に絞られていきます。
 けれど、「入試のため」でしかないので、本来の【学ぶ】から見るとかなり特殊なことのように感じます。


 でも、学び方が身についているのは、大切なことです。

 職場でパソコンの使い方を覚える段取りは、学校時代の学び方と同じなので、なじみがあるし身についています。
 『自分のため』に道具の使い方を学んでいきます。

 コーチングは「自分のため」でもありますが、本来の目的は「相手のため」です。
 慣れていないので、わかっていてもなかなかできません。かなり発想を変えないといけません。

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