あの夏、私はけむりの中でへそを出していた
夏の音楽フェス。
その日の私たちの現場は屋外のフェスの煙草のブースで、仕事内容は煙草を試しに吸ってもらうためのプロモーションをすることだった。
一カ月ほど前に行われた研修と前日のリハーサルは長かった。
お客さんに声をかけてからの煙草の説明は一言一句間違えてはいけない。助詞の「が」を「は」と言ってしまっただけで叱られるなんて日常茶飯事だ。
猛暑日にも関わらず、極端に休憩が少ない案件だった。
仲間たちが「気持ち悪い」「吐き気がする」と倉庫やテントに張られた休憩所に駆けこんでいく。
へそ出しでスカート丈の短い衣装を着ている私たちを、日光が襲う。
「休ませてください」と言うためにスタッフのところへ行くと、スタッフは何か勘違いをして、けむりが密集するブースの奥に指し、「早くお客さんのところに行って」と言われる。
ちゃうねんて。
苛立ちながらも指示に従い、数分後、私も倉庫に駆け込んだ。
仲間のひとりが、ほうきに囲まれてしゃがみこんでいて、力なく笑いながら私を見た。
「この案件やばいよな」
うん、とうなずき、愚痴を言い合う元気もなくふたりで少し休んでから、再び外に出る。
猛暑日、私はいつもあの日の記憶をたぐりよせる。
とてもきつい一日だった。でも後味は悪くなかった。
マネージャーは厳しい人だったが、それは私たちにだけではなく、私たちを採用した広告代理店やクライアントに対してもそうだった。
同じ事務所の仲間が電話で報告した直後、マネージャーは代理店に連絡をとり、「うちの女の子たちに何させてるの」と怒ってくれたそうだ。
その日のギャラは五千円上がった。みんなで乗って帰ったタクシー代ももらえた。
ひどい案件のときこそ、私たちイベントコンパニオンの結束は固まる。
帰りのタクシーの中で愚痴を言い合ったのが、なぜか今楽しく思い出される。
イベントコンパニオンは、展示会でワンピースを着て企業のPRをしたり、街中のイベントでキャンペーンガールをしたり、フェスやクラブで煙草やお酒のプロモーションをしたりと、いろいろな案件に携わる。
それぞれの案件にオーディションや書類選考があるため、ひとり、ふたり、三人の枠に何十人、何百人と応募が殺到することもよくある。
東京はイベントが多いため、多数のコンパニオンがいて、真面目に頑張っていればそれだけで生計を立てることもできる。レースクイーンやモデルの子が空いた日にイベコンをすることもあったし、芸能事務所から来た子たちともよく会った。
休憩時間は長いが、そのぶん実働時間は精一杯働く。
意外に思われるかもしれないがイベコン同士は仲が良い。なおかつ仕事が終わったあとは「お疲れ様でした~」とさっさと帰ることが多いさっぱりとした関係性だ。
案件が変われば現場も変わり、いっしょに仕事をするメンバーも変わるので、人間関係で何かあっても引きずらないで済む。
猛暑日のフェスの仕事のつらさと共に、「楽しい仕事だったなあ」という思い出もよみがえる。
私たちはオーディションや書類選考で、何か特出したものを評価されて選ばれる。
たとえばそれはスタイルの良さや美貌であったり、懸命に仕事をこなして得た事務所との信頼関係であったり、接客のスキルであったりした。
採用になったら、私たちは一生懸命、クライアントのために、事務所のために力を尽くした。
女が女を使って働く。
イベントコンパニオンは社会が押し付ける女性性を肯定している。
そんなことを言われたりもしたが、誰も気にしていなかったし、引退したあともイベコンが活躍する場はあり続けるのだと信じて疑わなかった。
ところが、世の中の流れとは関係のないところで2020年から状況が変わった。
緊急事態宣言の発令後、イベントがどんどんなくなり、展示会もフェスも中止になったのだ。
この2年は、イベコンにとってあまりにも長い2年だったと思う。イベント業界に見切りをつけた当時の友人も何人かいた。
そして今年。
あっという間に梅雨明けして、季節の変化を感じる余裕もないままに気温は上がった。
一方、いろいろなイベントが再び開催できるようになってきた。
駅でワンピースを着て商品の案内をするイベコンを見て「どこの事務所やろ。絶対私が知ってるとこやろなあ」と思いつつ、「彼女たちの活躍の場が失われないでよかった」と安心する。
猛暑の日のフェスの仕事はきつかった。
だけど炎天下で働く私たちは、きっと輝いていた。
だから私は今も、猛暑日になるたびあの日のことを思い出し、輝きを胸の中によみがえらせて自分を元気づけることができる。
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