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『償い』の男性的美学 騎士道フェミニストがジェンダー規範を固定化する

男性フェミニストや男性学徒の大きなモチベーションのひとつに、原罪意識というものがある。

このツイートを読んでもらうとわかりやすいかもしれない。

私も含むヘテロセクシャル男性は、その存在だけで何らかの加害者性がある社会構造。原罪とも呼べる。 だから、目覚めて学んだ際には、その自覚と生涯、向き合い続けなければならない。 自己覚知して変わることは大変なこと。 自己のセクシュアリティ、ジェンダーに向き合いたい。

あまりこの分野に詳しくない人だと、なんて意味不明なことを言っているんだと驚くかもしれない。男性は生まれながらにして原罪を背負っている、そんなドグマをすんなり受け入れられるひとは、フェミニズムやジェンダー学に無縁な方ではあまりいないだろう。

しかしこれは、藤田さんに特有の特殊な考えではなく、フェミニズムに親和的な男性一般に広く見られる傾向だ。

男性であること自体が罪(加害性)を背負っている。

これは元々、マルクス主義の階級的自覚という概念から援用された考え方だ。マルクス主義において、プロレタリアート(労働者)は、ブルジョワジー(資本家)に対する階級的使命を帯びていると考えられている。プロレタリアートでありながら資本家に与することは階級的自覚に欠けていると批判されるし、資本家においても自らの搾取性に無自覚であることは資本主義的搾取に与するものとしてまた批判される。

元々フェミニズムという思想自体がマルクス主義(特にエンゲルスの著作「家族・私有財産・国家の起源」)に強く影響を受けた思想で、ブルジョワジー/プロレタリアの関係を男性/女性に援用しているところが大いにある。

「階級的使命を自覚せよ」というのは、古来より左派としては極めて当たり前の常識だった。故にマルクス主義フェミニズムの影響を強く受けた男性左派知識人は、ごく自然に「男性であることの階級的自覚」、つまり「男性であることの加害性、罪を自覚しよう」というドグマを信じる傾向にあるのだ。このロジックがいまいち飲み込めない人は、以下の記事なども参考になるかもしれない。

・わたしが「男性」であるという、逃れられない事実に対して

なんとなく断っておきたいので断っておくと、個人的に藤田さんには好意を抱いており、彼の仕事の多くを尊敬している。フェミニズムに対する意見は異なるが、彼の反資本主義的闘争方針には全く賛同するし、氏に関して言われている様々なゴシップや誹謗も信じるに足るものは皆無であると思う(ホームレス支援がそんなに儲かるなら、この世からとっくにホームレスはいなくなってるはずだ)。

さて、それはともかくとして、このような原罪意識によって駆動している男性フェミニストは、実のところ男女のジェンダー規範を固定させているのだ、というのが本稿の論旨だ。順を追って説明していこう。


「償い」の男性的美学

まず、そもそもの話として、

「償い」とは、極めて男性的な営為である

という視座を持つことが必要だ。

「償い」とはつまり、自分の罪や過ちを自覚し、それを償うために自己を犠牲にするということだ。この「償い」はふたつのフェーズに分かれる。「罪の自覚」と「自己犠牲」だ。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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