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千葉雅也の炎上から考える「知識のあるバカ」の作り方

新進気鋭の若手思想家、千葉雅也氏が大炎上している。

ただし筆者の場合、「炎上している」などと他人事のように書くのは不適切かもしれない。千葉雅也氏が炎上したのは紛れもなく筆者のツイートが切っ掛けだからだ。

7月6日の昼過ぎ、千葉雅也氏は「サイゼリヤの注文方式が気に食わない」旨をTwitterにて連続投稿する。千葉氏によれば、現在のサイゼリヤの注文方式は「旧共産圏的な情緒」すら漂う「非人間的な情報管理」であり「社会を明らかに間違った方向に向けている」というのだ。

主張自体は極めて平凡なものだ。「効率化によって人のぬくもりが無くなった」という懐古主義的な主張は、工業化が始まった200年以上前から一貫して唱えられている。英国において機械破壊のラッダイト運動が起こったのは1810年代のことだ。千葉雅也氏の「社会批評」の妥当性については以下で子細に検討するが、氏の批評には特段目新しい部分も難解な部分もない。

しかし、そもそも大学教員である千葉雅也氏は、学籍番号によって「記号化」された学生を相手に、教室番号によって「記号化」された教室において、講義番号によって「記号化」された講義を行っているはずである。千葉雅也氏の無責任な知的態度に若干の苛立ちを感じた筆者は、以下のような「社会批評」を試みた。

筆者の一連のツイートは、千葉雅也氏の安住する「ムラ」の外に氏の「社会批評」を届けてしまったらしい。千葉雅也氏には批判的言及が殺到し、さらに氏のあまりに傲慢で幼稚な対応もあわさり、現在、千葉雅也氏氏周辺は「炎上」状態になってしまっている。

さて、本稿は千葉雅也氏の炎上を入口に、思想・哲学を中心とした人文アカデミアの知的劣化について考察する「社会批評」である。というのは、千葉雅也氏の「炎上」は千葉氏ひとりの問題ではなく、千葉氏が属する人文アカデミアの病弊を象徴する事例だと言えるからだ。

本件は決して特殊な事例ではない。むしろ日本の人文アカデミアの「典型例」と言って良いほどにありふれたケースだ。筆者としては本件を通じて、日本の学術界の「今」を考えていきたい。


世間知らず

まずは発端である「サイゼリヤ」の注文方式について検討したい。千葉雅也氏が指摘するように、サイゼリヤの注文方式は特筆して「非人間的」なまでに「情報管理」されたものなのだろうか?

レストランチェーンの現状についてほんの少しの知識があれば、千葉氏の指摘は的外れであることがわかる。

まず大前提として、サイゼリヤは「機械化」や「情報化」を極力排している珍しいレストランチェーンである。電子マネーをはじめとするキャッシュレス決済の導入をつい最近まで見送っていたし、チェーン店としては極めて特異なことにクレジットカードも使えなかった。現金決済オンリーのサイゼリヤのレジで慌てた経験を持つ読者も多いだろう。

多くのレストランチェーンが導入する「タブレット端末」も今に至るまで導入されていない。昔ながらの「店員が注文を聞く」経営スタイルをサイゼリヤは堅持している。レストランチェーンとしては異例なことに、店舗ごとに異なるワインリストすら存在する

そう、千葉雅也氏の実感とは裏腹に、サイゼリヤはレストランチェーンの中では突出して「情報化」されていない企業なのだ。

ちなみに現在の「注文を番号で記入する」スタイルは、コロナウイルスによるパンデミックがはじまった2020年から導入された。口頭で注文を伝える経営スタイルであるサイゼリヤは、コロナ下において特殊な形の感染症対策を余儀なくされたのだ。サイゼリヤの注文方式が特殊に感じられるとすれば、それはレストランチェーンにおいては珍しく「情報化されていない」ことが原因だろう。

サイゼリヤの注文方式がパンデミックによって刷新された当初のネット上の反応を紹介しておこう。このまとめが全てではないだろうが、おおむね「ソーシャルインクルージョン」(社会的包摂)の立場から歓迎されていることがわかる。

聴覚障害者や外国人や吃音者や社交不安者など、口頭でのコミュニケーションが難しい社会的弱者に配慮されたデザインであると多くのユーザーから賞賛されていたようだ。

これは顧客だけではなく、働く側の労働者にとっても同様だろう。特に近年急増している外国人労働者にとっては死活的に重要な問題である。

ちなみにサイゼリヤは障害者雇用に力を入れていることでも有名である。ごく早い時期(2001年)から身体障害者だけではなく精神・知的などの障害区分も引き受け、「チャレンジド雇用」と呼ばれる独自の雇用体系を築き続けている。障害者雇用の法定雇用率は2.3%だが、サイゼリヤはそれを大幅に上回る3.5%を雇用している。

ソーシャルインクルージョンの視点から評価の高い注文方式が生み出されたのは、このような長期に渡る企業努力の成果のひとつと言えるだろう。

これを「非人間的な情報管理」であり「社会を明らかに間違った方向に向けている」と評した千葉雅也は、サイゼリヤの企業努力をほんの1%でも把握していたのだろうか。


反転可能性の欠如

そもそもだが、レストランチェーン以上に「記号化」が進んでいるのが昨今の大学業界である。

千葉雅也氏の勤務する立命館大学のシラバスによれば、千葉雅也氏の「フランス現代思想」の講義番号は「10803」であり、「学而館GJ402号教室」において開講され、「BCPレベル」は1から2で、成績評価の基準は「レポート試験が100%」で、「ISBNコード978-4062880091」によって定義される佐々木敦の「ニッポンの思想」を参考書として読んでおくことが望ましいとされている。

なるほど、たった1ページのシラバスにこれだけの「非人間的な情報管理」が含まれているのだ。

大学の「情報管理」はこれだけではない。ひと昔前とは違い出席はICカードリーダーによって管理される。立命館大学の独自システム「manaba+R」によって学生は出席やノートを管理され、教員とのコミュニケーションも「manaba+R」のアプリを通じて行われる。

ちなみに千葉雅也の授業シラバスにも、授業内外の学生と教員とのコミュニケーションに「manaba+R」を使うと明記されている

このような「非人間的な情報管理」を教え子に施すことを、千葉雅也氏はどのように合理化しているのだろうか。せめて千葉氏だけは「manaba+R」を拒絶し、自宅の電話番号なり住所なり伝書鳩の居場所なりを学生に教え、「非人間的な情報管理」に抗うべきだったのではないだろうか。

他者に対しては異常に厳しい基準を要求しながら、自分の正業においては情報化に頼り切る。全くもって身勝手で幼稚な態度と言う他ない。

ちなみに千葉雅也氏は現在、SNS上で自分に批判的な人々を次々とブロックしている。「千葉雅也」で検索すると、サジェストワードに「ブロック」が出てくるほどだ。

自分に対して批判的な人間をあらかじめ全員ブロック(拒絶)する。まさしく「旧共産圏的」な「情報化による人間関係の効率化」である。

千葉雅也氏のSNSにおいては個々のユーザーの人格は全く完全に無視され、「自分を批判するツイートにいいねをつけた」という「記号的」な基準によって千葉雅也の言論圏から排除されるのだ。「非人間的な情報管理」が生じている最前線は、まぎれもなく千葉雅也氏のTwitterだろう。


肥大化したプライド

このように、千葉雅也氏の論考には多くの穴がある。蜂の巣をマシンガンでさらに穴だらけにしたが如くである。にも関わらず、千葉氏は自分に対する一切の批判を拒絶し、それどころか大衆の蒙昧さを嘲笑している。

千葉雅也氏によれば、千葉氏の社会批評に賛同しないものは「ファシスト」であり「歴史がわかってない」のだと言う。

千葉雅也に対して批判的検討を加えることが「ファシズム」であるという氏の意見には驚くほかない。他ならぬファシズムとは「市井の人々」による権力批判を制度的に禁ずる政治体制を指しているからだ。

もし有名大学の大学教授という知的権威に市井の人々が口を挟めないのなら、それこそがファシズムの萌芽だろう。市井の人々の声を嘲笑し、応答責任をインテリならではジャーゴンで誤魔化し、均質なインナーサークルに閉じこもろうとする千葉の態度こそがファシスト的態度の典型だ。

もちろん、筆者は千葉雅也が意識的にファシズムに傾倒しているなどと欠片も思っていない。氏の主張は単純明快である。

千葉雅也氏の中核的主張とは何か。それは

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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