反フェミニズム運動の今後 必然としての大衆化とその憂鬱
この最近、ずっと慢性的に絶望感がある。
「単なるうつ病やろ」とも思うのだが、特に私生活に何かあったわけでもなく、むしろ充実さえしており、まぁそんな時でも忍び寄ってくるのが精神疾患なわけだが、本稿ではあえて病理化せず内的葛藤として扱ってみたい。
自分が今悩んでいるのは、我々(あえて我々、と言おう)が現在推し進めている、反リベラル運動の行く末についてだ。
この運動が勝利することはほとんど確定している。リベラリズムは人口を再生産することができない。保守的な価値観によってのみ人口の再生産は可能になる。故に長期的観点からすればリベラリズムは必ず退潮する。
遠くない未来、ジョナサン・ハイトが指摘するような保守的価値観、つまり「忠誠」「権威」「神聖」が再評価される時代が来るだろう。それは構わない。
自分の心を暗くするのは、そのような価値観の転換が行われるまでの過渡期について、リアルに想像したときだ。政治的価値観の転換期は須らくそうなるが、それはもう間違いなく、禄でもない事態が多発する時代が来る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?