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「※ただしイケメンに限る」の嘘 モテにおいて顔よりも重要なもの

「※ただしイケメンに限る」

というインターネットミームがある。

このミームから派生した有名な画像としては以下のようなものがある。結局モテと非モテを決めるのはただひたすらに顔であり、ブサイクが何をしたって無駄なのだ…という文脈で用いられる。

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67万円の高級ブランドに身を包んだキモメンより、7000円のカジュアルブランドを適当に纏ったイケメンの方がどう見てもカッコいい。確かに説得力のある画像で、イケメン絶対主義を信じそうになってしまう。

しかし実際のところ、「モテ」において顔面が寄与する割合はそれほど高くない。それは多くのPUA(ナンパ師)によって確かめられてきた事実でもあるし、筆者の観測としても男性のモテにおいて容姿はそれほど大きなファクターではないという確信がある。

本稿では「※ただイケ」神話の虚構性と、顔面以上に重要な要素とは何か?というお話について解説していく。


「イケメンの非モテ」は実在する

そもそも論として、モテを決定するのが容姿だけであるはずなら「イケメンの非モテ」はこの世に存在しないはずだ。しかし実際問題として、イケメンなのにモテない男性というのは多々存在する。

筆者はそんな「イケメンの非モテ男性」を多く見てきた。精神科入院病棟、デイケア、就労移行支援などのメンタルヘルスの現場が多かったが、理系大学生、重度のオタク、IT系エンジニアなどにも非モテのイケメンは多々生息していた。

彼らは今風のスラリとした容貌で、身だしなみに無頓着過ぎるというわけでは決してない。ユニクロで買った無難な服に身を包み、安い美容院に月1程度で通い、多くの場合、最低限の見た目はちゃんと整えている。

しかしそれでも、彼らはモテからはひたすらに遠かったのだ。イケメンという絶対正義の属性を有しているにも関わらず…。


非モテのイケメンに共通するのは卑屈さ

イケメンであるにもモテない謎の存在「イケメンの非モテ」たち。彼らはなぜモテないのだろう。よくよく観察していると、彼らにはひとつの共通項がある。

非モテのイケメンの共通項、それは卑屈さだ

「卑屈」をGoogle検索すると

【卑屈】
《名・ダナ》自分をいやしめて服従・妥協しようとする、いくじのない態度。

というOxford Languagesによる辞書的定義が示されるが、この「自分をいやしめて服従・妥協しようとする、いくじのない態度」こそがイケメンの非モテたちの共通項である。

彼らは一様に姿勢が悪く、猫背で、自信なさげで、表情に乏しく、声の通りが悪く、うじうじしており、自分から何かを主張しようとしない。

このような服従的で妥協的な態度を取っていると、顔の造形がどんなに良くても非モテになることは避けられない。「弱そうな男」を女は何よりも嫌うからだ。

もちろん極端な例外がないではないが、「弱い」という罪を贖うために必要な美のレベルは並大抵ではない。それこそ容姿がモデルなどの職業に繋がるくらいの極々々々々一握りだけだろう。

女は弱者を愛さない。相当のイケメンであっても「弱そう」であれば、女たちは決してそれを許さないのだ。

さて、それならば、身体からにじみ出てしまう「卑屈さ」を取り除くにはどうすれば良いのだろう。


「卑屈さ」とは「緊張」である

そもそも卑屈さとはなんなのだろう。

「自分をいやしめて服従・妥協しようとする、いくじのない態度」とは言うものの、なぜそのような態度が身に付いてしまったのだろう。

あくまで以下は個人的な考えだが、身体からにじみ出る卑屈さの正体は、トラウマ由来の心と身体の緊張なのではないかと筆者は考えている。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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